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ヴォイスギャラリー秘宝館 秘宝その1

ヴォイスギャラリー秘宝館 

 2020年5月5日。
 いずれ<コロナの頃>を振り返る日が来ると思いますが、今、社会がどれほど深刻かというと、IPS細胞研究所の山中伸弥教授は、「私は遺言を書いておく」と述べられました。私は死ぬ気はしないけれど、2020年春の記録は、生者か死者、分野にかかわらず、遺言というべきだと思っています。
 英語で遺言をwillといいます。遺言には、前提として「死にゆくこと」があるわけですが、willには、自分の意志を示す、未来に向かって進もう、進んでくださいと他者を促すというような意味があると考えればよいと思います。
 ヴォイスギャラリーは今年の7月がくると35年目にはいります。ここ数年、夢中で駆けてきた年月を振り返って記録しておかなければという気持ちと、ギャラリーというものを捉え直してまだ仕事を続けたいという気持ちがありました。自分の気持ちを落ち着けて、どれほどの人との出会いを財産としてきたかを振り返るには、本を書くこと。執筆という大仕事で自分に負荷をかければなんとなると思いましたが、本である意味やスタイルのことなどを考え出すと、なかなか手が出せず、すでに2年経ってしまいました。
 本への道のりが遠い中、コロナウイルスに行動や思考までが制限されている今が、私には、始めるための好機であるかもしれません。本の第1章として、<遺言>を書きます。
 しかし私の遺言は、私の人生に価値を与えてのちに役立ててもらうものでは決してありません。長い間人目に触れず、私の傍にひっそりとあったモノたちの記録です。モノたちに意志を与えるための記述を遺言と呼びます。作品は、作者の意志や意図が明確で、没してもなお作者は持ち主の栄光を上回ります。私が記述するモノたちには、一般的な価値づけが不可能です。偶然・必然にかかわらず、ヴォイスギャラリーと私という特殊な関係、いわば<血縁>の中に紛れ込み、どちらの所有物でもなく、先々で日の目を見たとしても価値の鑑定家が存在しないモノたちなのです。
 以前ほど美術品が売買されるには、おそらく少し時間がかかるでしょう。もしかすると、美術への価値そのものが転換するかもしれません。
 いつか<コロナの頃>を振り返るとき、一般情報化されない価値づけは、少なくとも私にとって、試練を超える手立てとして思い起こせると思います。
 ヴォイスギャラリー秘宝館の展示物は、事態が収まっていれば、2020年中にギャラリーで展示・公開します。

【秘宝その1】
看板の版下(紙のサイズ約360×260mm、1986年、西岡勉氏による)
1986年7月10日ヴォイスギャラリー開始。
場所は、河原町今出川下がる梶井町の元倉庫の2階の1室。(翌年、隣室に入居したダムタイプは、別項に登場予定。)
建物外壁にあった大看板と2階廊下の小看板のうち、版下は小看板用のもの。写植が1字ずつ方眼紙に貼付されている。印刷指示が赤字で書き込まれたトレーシングペーパーが重なっていたはずだが、それは残っていない。文字は白、地色は青(DIC424)。
voiceのオリジナルフォントも、西岡氏デザイン。名刺、案内状、その他媒体のデザインを西岡氏に依頼した。
この版下による今出川時代の初代看板は、現在、関東在住のある収集家の元にある。大看板は、ヴォイスギャラリー蔵。


参考;
版下
https://ecobag-house.com/blog/q-and-a/2341
写植
http://ryougetsu.net/ab_nani.html

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