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あかるくおひっこし🚚💨

削ろうか、下書きに置きっぱなしにしようか、
悩んだが、エイヤー!

プラットフォームのおひっこし

自分軸手帳のプラットフォームが
Teamsから変わる。
おひっこし説明会は3月1日の会に参加した。
入部1年目でTeamsから次のプラットフォームへ引っ越し。
なかなか動きのある年に入部したものだと思う。これも運命なのだろう。
3年3ヶ月「あめだまはなかなか会社が大変な年に復職するね」そう主人はいった。
下剋上の日々からお休みをいただいて、3年3ヶ月経った。
そして一般社員として30代スタートを控えている。

説明会ありがとうございました!すごいすごーい! 🫶
何でできているのか、ものすごーく気になるところですが、
「夢と希望と自分軸でできています」という
深井聖臣@運営メンバー【感】さんのチャットコメントを
そのまま受け取って、
新プラットフォームへゆるりとお引越し準備しようと思います ✒️ 😘
3月1日 13:07  あめだまの投稿

運命思考は直近に受けた
クリフトンストレングスファインダーでは6位にランクインしている。
バリキャリ時代に受けた時は20位だった。

超前向き、前のめりな感想を投稿したのには訳があるのかもしれない。
少し深掘りすることにした。
運命を感じる出会いはバリキャリ時代、「おやじ」との出会いだろうか。

2015年1月「おやじ」と出会う

本職はIT関連サービス業のあめだまは、2015年1月末、
年末から1ヶ月に及ぶ京都出張から帰ってきたら、はじめて会う新入部員、
父とあまり歳が変わらないおじさんに、はじめまして、と挨拶した。
これが「おやじ」との出会いである。
親しみを込めて「おやじ」と呼ばせてもらうことにする。

この「おやじ」さんに「3年だ、俺の元で働け」と言われて、
4年間もお世話になってしまった。
この「おやじ」さんは非常に物知りで、
なんで下請や派遣がメインのうちなどに、入社してきたのか、
正直わからなかった。
興味本位で尋ねたら、
「俺はIT業の方をやりたくて入社したんじゃないんだ」と教えてくれた。
それは残念な配置をされたものだ。
しかし、そのままIT業の方に身を置いてくれたのは
「なんとかしなければ」という
「おやじ」さんの正義感、スポコン魂ゆえだったのかと振り返る。

あめだまがこの「おやじ」さんと出会ったのは
入社3年目を迎える時だった。
新卒入社なら転職活動を考えようか、と思うかもしれない時期。
課題山積、上から情報は降りてこない、
待つくらいなら取りに行く、
そんなあめだまは昇進していたので、
「おやじ」さんはいちおう部下だったらしい。

「おやじ」のいうあめだまの能力

「ンなもん関係ねえ!」スマホ相手によくそんな怒声が響いた。

通常であれば、昭和パワハラと思われるかもしれないが、
平成生まれでもあめだまは慣れていた。
役職など関係ない。
「おやじ」さんが「ちげえだろ!」というにはだいたい訳がある。
40人ほどの仲間を未曾有の脅威から大体守ってくれていた。
おかげで急に何も情報なくはじまる仕事が、
事前に整っていったのを覚えている。

学べることをいっぱい学ぼうと思った。
また、進路についても
「お前はコールじゃねえ、作る方が向いている。手を貸せ。」
と一緒に働きはじめて3ヶ月、半年足らずでアドバイスをしてくれた。

「作る?何を?この肩書だけの若輩者に何かできることがあるの?」

あめだまの入ったITサービス業、未知識・未経験者は、
たいていヘルプデスク・コールセンター業から地道に歩んでいく。
あめだまは叩き上げだった。

「現場を知っているからこそ作れるってもんだ」
「おやじ」さんはまるで大工の親方のような感じで、そういった。

研修はあった

研修はあったが、あいにく実務とは程遠い物だった。
そう感じたのは、実務を1ヶ月終えた後の、
新入社員振り返り研修だった。

「お電話ありがとうございます」からはじまり
「誠に申し訳ございません」
「大変恐れ入りますが」
など枕詞がたくさん出てくる。
基本を学ぶとしてはいい。

実務1ヶ月で耳を鍛え、
先輩社員の話口調を真似、
休日にはメモした内容を復唱し、
暗唱し、繰り返したわたしはすらすら応えた。

しかし、入社して同じ期間経った仲間の中には、
デモンストレーションだとしても
お客様からの問いかけに対し、
「何をいうのか思いつかない」ような顔の社員もいたのを覚えている。

「もしやわたしの現場は過酷だったのではないか」

何が過酷だったのか

「なんでそんなこともわからねーんだよ!」
iPhoneから上司の1人の怒鳴り声がする。
「それはですね、技術研修をすっ飛ばして、売り上げが、人が足りん!
 と作業に出されて、ようやく慣れてきたと思った
 次の日から来なくていいです、本社の部門配属ですので、
 本社行ってくださいと言われ、
 そのままだからですよ!」
「・・・そ、そうか」
今では、もはや笑い話である。
本社で新入社員からずっと過ごすやつも珍しい。
数ヶ月はそれでなんとかなったが、数年も経つと
「なんでてめえはそんなこともわからねえんだ!」
と言われるのは目に見えてた。
必死で勉強した。

復職前面談で色々聞いたが、
会社はビジョン変革し、
少しはましになったらしい。
3年でお世話になった古参社員も
多く去ったという。
寂しいが、働きやすくなったのなら良いことだ。
わたしも順応せねば。
さもなくば去る道を歩みそうだ。

部門に属することによる学びが多かった。
色々あったが、
実務で学び、自己啓発を重ねて今に至る。

今回のおひっこしに対する意見を読んで

リアルタイムで、感想をTeamsに投稿した新入部員のあめだまは、
今回のおひっこし、に関しても色々な意見があるのだなぁ、
と静観していた。
ただ胸がなんだかゾワゾワするものを感じたのも確かだ。

確かにビジネスの場では
「値上げ」「賃上げ」「価格交渉」に関する際、
「お詫び」というのは往々にしてあるのかもしれないし、
部費の明細開示を求められるのも、
見積書提示の内訳を開示せよと問われるのと同等に思え、
わからなくもない。

部活動の捉え方は個人に委ねられている

これは「部活動」をどう捉えるか、
個人に委ねられるものと思う。
これはあめだまがあめだま自身への問いである。
問い:
部活でお金を払う。するとそれはビジネスになり、「部員はお客様」になるのか。


・部活動、部員、部費
・サービス提供者、サービスを受ける者、サービス費用

あめだまは、中学生のときは家庭科部だった。
金額は少し上がったが、中学生の頃の家庭科部と同じ感覚である✍️

25歳から管理職を任じられていた。
価格改定のお願いにお客様先に向かい、
内容明細、見積もりを作成し、
営業に同行して説明もしてきた。
ともに協議する、お願いする、という行為はよく見られたが、
お詫びは「必ず」ではなかったと記憶している。

しかしながら、コールの現場ではお詫びしていた方が、
よい効果もあると知ったのは、新入社員のコール研修を、
先輩社員にお願いしたときだ。

お客様は困っていて、電話をかけてきてくださる。
電話をかけてきてくださるのには理由がある。
ものすごく焦っていて掴みかかってくるような勢いの方もいる。

ワンクッション置くためにも「一度お詫びするといい」
そう言ってくれたのは、
「叩き上げのわたしでは教育など身に余る」ので新入社員の研修をお願いした
「きちんとお客様先で研修を受けてきた」先輩社員である。

入社してから実務で先輩の真似をしてきたあめだまにとって、
「おおー、そうだったのか!」と腑に落ちた説明だった。
入社した時に聞きたかった。
先に聞いていたとしても、枕を涙で濡らすことには変わりないだろうが、
それでも先に聞いておきたかった。

また、新入社員たちにその場を提供できる立場で良かった、とも思った。


お詫びとは

お詫びというのは、
個人や所属する組織にも影響されやすいものと考える。
なにぶん派遣業がメインの会社に属しているため、
会社に属している同じ社員でも、
実際はお客様先で働いている時間が圧倒的に長いため、
お客様先に染まっていく。

加えて、あめだまのように
言語学習をしていることと、仲間が多国籍だったことからも、
お詫び一つとってもタイミングも異なる。

一方にとってはお詫びのタイミングが当たり前と思っていても、
他方からしてみれば、感謝からはじめる、というのが当たり前であることもありうる。

同じ性質の人同士が集まると同じ方向に向かって行きやすいが、
いろんな性質の人が集まると、違った見方が出てくるのは当たり前である。

上司が何人もいたが、
「謝るのが嫌いだから、俺は絶対に失敗したくない」と
いう上司がいた。

その上司が転職してから、本格的に管理職らしい仕事も多くなり、
あるとき始末書・顛末書を書きながら、
そんな上司の言葉を思い出したのを覚えている。

復職前の心の準備

「新プラットフォームが何か」はもう明かされたが、
「そのうち見たらわかるかな」くらいでのほほん構えていた。

「夢と希望と自分軸でできています」

とてもいいコンセプトだと思う。
そのプラットフォームのツール名が明らかになった時、
「なんて考えられているんだろう!」
と感動した。

のほほんと構えていたのは、
3年3ヶ月という長期間、社会から一歩離れ、
「稼ぐ」とか「売上」とか生計を立てる一切のことを
他方(主人や実家)に切り出して、
むすめたちと向き合っていたおかげだろう。

バリキャリ時代の時もほんわか緩やかだった気がするが、
そう思っていたのは自分だけかもしれない。

自分にとって「許せない一線」を超えない限り、
そんなに明確さ、正確さを問いたり、突き詰めようと思わない。
いつかわかることなのだから。
そして誰でも転ぶ時は勝手に転んでいくのだから。

過去3年を振り返る

かつての40−60名の仲間と共に働き、
管理職のひとりとして働いていた自分と決別し、
地元に戻ってきた。


2020年は大きな決断をした。
また主人にも異動を求めた。

2021年は保育園に入れず、軌道修正し、2人目を授かった。
2022年は食あたりで切迫早産で入院もした。
退院後、保育園に入れる通知を受け取ったが、
実家から否定的な言葉を言われたことがきっかけで、
出産直前まで産前うつ症状に悩まされた。
『妊娠中に1人目を保育園に入れるなんて意味がわからない』
そう言われた。

助産師さんに相談する機会があった。
「時間が解決してくれる」答えは自分が知っていた。

2023年 自分軸手帳部に入部し、もくもく色々していくうちに、
ようやく「あめだま」らしく何かできるようになってきた。
3年3ヶ月もかかった。そしてこの春、復職する。

自分軸手帳部とあめだま

あめだまにとって自分軸手帳部は、学びの宝箱である。

今回のおひっこしについては、あめだまのような
ふわふわーっとした投稿をはじめ、
受け入れ難い、という意見まで出てきた。

そうか、そういえばこれが「社会」というものだったな、
と復職前の心の準備になった。
バチバチしていた。ときに道を通すために、切り込むこともあった。

無理しないでね

仲間はいつも心配してくれた。しかし、ひとり地元に戻ってしまった。
ここからは自分との勝負だ。


2019年末にはまだ触れていなかったTeamsにも数ヶ月触れることができたし、
あめだまとしては自分軸手帳部でいろんな学びがあり、
みなさまと楽しい日々を送れて毎日感謝している。

もうそろそろおひっこしの準備をしようか。
今回のおひっこしは、楽しそうだ☀️

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