【日記】20240521黙るという選択肢と怒りの横取り

怒りで小説を書いている。
デビュー作からして明らかなのだけれど、たぶん自分が「書くぞ、オラ!」と思い立つときには、怒りが明らかな原動力になっている。

私は素朴で馬鹿な人間だから(どっちも英語だと「シンプル」だ)、わりとすぐに騙されるし、ショックを受けるし、怒っちゃったり、舞い上がっちゃったり、調子に乗ったりしちゃう。あらゆる差別に反対しているし、「あらゆる差別に反対しているタイプの人たち」に踏みつけられがちな人たちが受けている差別にも反対している。中東で起きている虐殺にも怒っている。ヘイトクライムにも怒っているし、アライを自称する人たちによる横槍にも怒っている。とにかく、あらゆる弾圧と搾取に怒っているし、怒りを忘れずにいたいと思っている。私は素朴で馬鹿な人間だから、うっかり他人を弾圧して搾取する側にまわっちゃうし、そんな自分に対しても怒っている。

そのぶん、と言っていいのかわからないのだけれど。「怒りを横取りすること」に対して、忌避感が強いほうだ。今日もやってしまいそうになった。労力と時間をかけた他人の抱くべき怒りを、横取りしそうになってしまった。まったくもって身勝手きわまりない。

それで、あわてて各種連絡手段とSNSを閉じてnoteの執筆画面と一太郎を開いたわけだ。それが今書いている、この文章。

黙ることは、意思表示だ。
SNSにおいて「黙っていることは加害と一緒」だとか言われることが多いのだけれど、他人の怒りを横取りしてしまうよりは、少しくらいはマシな選択肢であることのほうが多いと思っている。「一緒に怒ること」と「怒りの横取り」はぜんぜん違う。どこがどう違うんだよって言われたら困るから、それはじっくり考えて小説にしよう。

とにかく、今やっていることが「義によって助太刀いたす」なのか「怒りの横取り」なのか、立ち止まって考えるようにしているタイプだ。すぐにその二つのどちらか判別不能なら、一瞬だけ黙るようにしている。おのれの感情と発する言葉の手綱を握ってコントロールすることは、ものを書いてやっていこうと決めた自分の職分なのだから。


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追記:
「怒る」ってのは実はけっこう気持ちが良くて、ある種の人にとっては「怒っているから自分が正しい」という感情的なバックボーンになったりしてしまうんじゃないかと思っている。怒っている側がケアされてしかるべき、っていう。だからこそ、私は「怒りの横取り」は可能な限りしたくないし、されたくないんじゃないかと思っている。

追記2:
具体的お怒りポイントを加筆しました。