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歌う、踊る、何もわからないまま

半分在宅勤務みたいな、半分休みみたいな、半分快晴みたいな、半分雷雨みたいな、そんなかんじのあいまいな金曜日で、終始ねむたかった。


栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい 増補版 「生の負債」からの解放宣言』を読み終わる。

このまえ病院でこれの「豚小屋に火を放て ーー伊藤野枝の矛盾恋愛論」の頁を読んでいたら、付き添ってくれた恋人に「病院で読むには刺激的な本だね」と言われた。

栗原康はなんといってもパワーワードが多くて良い。

これは本人が考えたのかは知らんが、帯の「役立たずで結構!歌え、踊ろう!」というのもたまらなく良い。

私はつい役に立とうとしてしまうし、実際けっこう役に立つ人間なので、常に「役立たずで結構!歌え、踊ろう!」というマインドを心に置いている。そうじゃなければ役立たずの人たちを排斥しかねないし、自分が役立たずになったときに病んでしまいそうだから。


このまえ取引先の社長が、従業員のことを「東大出てるのに全然使えない。意味ない」と言っていた。そういう人って本当に意味ないんだろうか。


社長の若かりしころは頑張って役に立てば成果が上がり、収入が上がり、良いことずくめだっただろうが、今はなかなかそうもいかないわけで、そういう複雑な時代だからこそ、むしろ頑張れない人や役立たずっぽい人の視点が必要だと思ったりする。
私的にはそういうのが多様性なんじゃない?と思うんだけど、できる女性を管理職にするとか、そういうことしか思いつかない会社が多くて、なんか残念。

歌え、踊ろう!
ということで、舐達磨を聞く。さいきん大麻で逮捕されてた。
私は大麻などやったことないのでわからないし、肯定する気もないが、原初的な衝動をリズミカルに表現するのって、大麻とかやらないと難しいのかなと思ったりする。大麻、ドラッグ、あるいは宗教や暴力、セックスといったところか。


夕方、雷が落ち着いてきたので、近所の美術館に行く。さいきん美術館に行くと、グッズを大量に購入してしまうのが悩み。

ふだんは自他の無駄遣いにかなり寛容なほうだが、帰り道、さすがに何か困っている人に寄付でもしたほうがいいんじゃないかという後ろめたさにかられた。でもほんとは税金払ってるんだから、困っている人にちゃんと再分配しない行政が悪いんだよな。


美術館併設のカフェは緊急事態宣言中は休業中。別のカフェで、氷室冴子『新版 いっぱしの女』を読む。

30歳を過ぎたら「いっぱしの女」と友達に言われたことに由来する表題。ちょうど自分と同年代の少女小説家の、30年前のエッセイ。おもしろい。


尊敬していた教授が、ある講義のとき、ふと雑談のような流れで、こうおっしゃったのだ。

女性はどうして簡単に、この小説がわかる、といえるのだろう。"わかる"という言葉を、かるがるしく使うのがどんなに傲慢なことか、わかっていない。かりにも文学を研究するのなら、"わかる"という共感を落としどころにしてはいけない。

せめて、私はほんとうに"わかっている"のか、私がわかる(共感する)のはなぜなのかと、自分自身への問いかけを含んでいてほしい。わかる、だけで書いたものは論文とはいわない。それは夜中に書いた片思いのラブレターみたいなものだ。


ツイッターをしていると「わかります」と書いてくる人がめっちゃいるが、何をわかってるんだろうと思うし、私は「わかってくれてうれしい」と思うことはあんまりないので不思議な感じがする。

でも「わかる」と言う人、女性に限らないような気がするなぁ。共感ベースのコミュニケーションが増えてるんだろうか。

ちなみに
私が好きな人に言われたい言葉ランキング

1位「こんなはずじゃなかった」
2位「わからない」
3位「かわいい」


雨がまた降ってきて、カフェから出られない。

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