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とはいえ街は美しく、キスは気持ちいい

やっとGWに入った。きのうの夜、同業者から「ぼくたちにはGWというか、SHWなんてないですよね」などというメールがきてたけど、無視して休みはじめた。ていうかSHWって何?と思ってググったけど、ステイホームウィークの略らしい。知ってた?

通販の段ボールをあけて、スモーキーピンクのブラレットを試着する。かわいい。ブラレットって盛れないけどかわいいし、サイズも厳密じゃないし、SHW?とやらに合っている気がする。玄関で靴の手入れをしていた彼に見せにいくと、すぐに手を止めてこちらに来てくれた。

ベッドになだれこんだところで、さきほどふたりで朝からキムチやら納豆やらを食べてしまったことに思いいたり、ちょっと今はやめとこうか、となってしまった。残念だけど、私はこのセックスに至らない、なんとなく色情をおびた時間が好きだ。背中をなでられ、くすぐったいんだか、きもちいいんだか、あいまいに腰がそる。

彼がどこかに行ったので、うずうずして軽く自慰をしてしまう。そのまま眠りに落ちていたようで、男がドアをあける音で目がさめた。今日はやけにあたたかい。暑いくらい。クローゼットを掃除して、Tシャツを手前に出しておいた。夏がくると思うと、それがどんな夏であろうが、うれしい。

どんな夏になるだろう。最近ではパンデミック長期化説が優勢のようで、緊急事態宣言の延長も検討されるようだ。たしか2月の中頃くらいは、なじみのおじさんと肉を食べながら、「夏くらいには収束するんじゃないの?」という話をしていたような記憶がある。ウイルスは熱に弱いからね、とかいって。今ではクソ暑い国でも猛威をふるっているそうなので、熱で死ぬ説はやっぱりフェイクだったのだろう。

いつからだったか、夕焼けのチャイムがなくなって、かわりに「不要不急の外出は控えましょう」とかいう呼びかけに変わっていた。子どものはしゃぐ声や、近所の人の立ち話もほとんど聞こえない。音楽のない夕方なんて、と悲しくなるけど、吹きこむ夕方の風は相変わらず気持ちいい。窓をあけたままセックスしても、この世にふたりきりだと錯覚できそうな感じだ。

日が暮れてから散歩をするのが日課になってきた。店がほとんどやっていないので街の光量が減っている。人も少ない。このごろは頻繁に需要と供給のバランスが崩れ、買い占めが起こっていて、コンビニやスーパーの棚が一面ガラガラのこともよくある。困ったことだけど、それはさておき、私は夜の街やコンビニのガラガラの棚に、妙な美しさを感じるのだ。

坂口安吾の『堕落論』を思い出す。空襲は美しいと彼は書いた。戦時下の街は本当に真っ暗だった。人間は何かを考える必要がなく、戦火の恐怖はあったにせよ、ただ運命に従っていればよかった。だから気楽に街に惚れ惚れしていられたのだと。何となく読めば戦争を称えているかのようだけど、べつにそういうわけではない。

戦争中は行動や思想を制限され、個人が堕落することなどできなかった。だから戦争は美しかったのだが、ほんとうは人間は堕落するものだし、それによって救われるんだ。というのが安吾の『堕落論』の趣旨だ。「堕落」は、今でいう「不要不急」だろう。

私は2ヶ月くらいまえの日記では、映画館が閉まっていることへの不満を書いていたような気がする。感染症で死ぬのもいやだけど、不要不急が削がれたこの世で生き残るのも最悪だ、とか。たしかに最悪なんだけど、この状況にも慣れてきていて、最近はなんだか世界が美しく見えてきた。

セックスをあきらめて、夕飯でもキムチを食べることにした。キムチと生卵を落としたごはんはあまりに美味しくて、彼に「死ぬ前日みたいな味がする!」と言ったら「なにそれ」と返された。とろけるような快楽を得ると、「死ぬまえ」と表現してしまうくせがある。冷静に考えたら、死ぬ直前に、健康的なごはんを食べたり、おだやかなセックスをしたりはできないのだろうけど。

夕食後にニュース番組を見ていたら「GWは"グッと我慢ウィーク"です!」とか言っていた。SHWもそうだけど、きもちわるい標語ばかり増えていくなあ。

なんとなく彼とキスしてみたら二人ともキムチくさくて笑ってしまった。明日はセックスしたい。

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