連載小説「ぬくもりの朝、やさしい夜」6

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私には「朝仕事」というものがある。
しかしこれは誰かに任されているわけでも、
指示されたわけでもない。
私がここに来てから自分で決めたことだ。

まず支度を済ませる。顔を洗い、歯を磨き、長くて膨大な髪の毛を一括りに縛る。化粧は基本しない。適当な動きやすい服に着替えれば、やっと身体ごと起きた感じがする。

そしたら次は全ての部屋の窓を開けて空気を入れ替える。生温かさの中に冬の寒さが名残惜しく残っているような風が部屋に流れ込む。空気の入れ替えの間に机の上の本やプリントなどを整える。しかし大体はもう整っている。凛さんが毎晩寝る前に綺麗に片付けてしまうからだ。だから私は整っている本やプリントを手に取り、また元の場所に戻す、という意味のない行為をすることになる。

部屋の換気が終わったら、台所へ行く。シルバーのケトルでたっぷりお湯を沸かす。水のぽこぽこする音が聞こえたら一度火を止めてマグに流し込む。そして再び火をつける。マグに流し込まれたのは程よい温度の白湯だ。それを私はゆっくりと喉に流し込む。「ふぅ」と大きめの息を吐く。そしたら準備開始だ。再び熱がかかったケトルの蓋がカタカタカタと音を立てるまでの数分が勝負の時間だ。コーヒー粉と紙フィルター、ドリッパーを用意する。素早く紙フィルターを織りドリッパーの上にセットする。コーヒー粉を降り注ぐ。量は計らなくても身体が覚えている。そのドリッパーを次はグラスサーバーの上に置く。するとケトルの蓋が音を立て始める。そしたら火を止めてケトルからコーヒー粉へお湯をゆっくり注ぎ込む。「勝った」とその瞬間毎朝思う。何と戦って何に勝ったのかは分からないけど。

「佳奈、おはよう」
背中の方からふんわり包み込まれる音がした。
凛さんの声だ。

私はケトルを置き、振り返って凛さんを見る。
真っ白なシャツワンピース、ボタンは一番上まできっちりと留めている。肩の少し上までのカールされた綺麗な茶色の髪は歩いてきた余韻でふわんと揺れている。そして首もとにあるガラスのネックレスもつられて横にふらん、ふらん、と動く。
いつもの凛さんだ。

「おはようございます。凛さん。」

そう言ってる間に凛さんは私の目の前に歩いてくる。そして手のひらが私の頭の上で、とん、とん、と触れた。 

「佳奈は大切。みんなの大切。」
「はい。わたしは大切。みんなの大切。」

不思議に見えるだろう。けれどこのやりとりは私たちのおまじないなのだ。毎朝唱えるおまじない。これは凛さんが決めた「おまじないの時間」だ。わたしと凛さんだけの特別な時間だ。

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