連載小説「ぬくもりの朝、やさしい夜」(仮)

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卓也ー電気信号

春の冷たい雨が降る夜、
夕飯の片付けも終わりそろそろ帰ろうかと思っていた時だった。

「卓也、救急車をお願い。それとタオルと毛布を。」

普段あんなにやわらかな陽だまりのような人が、
まるで別人のように血相を変えてそう言った。

「凛さん?どうされたんですか?子供たちはもうみんな帰って…」
「外!森で倒れてる!彼女よ!またいたの!声をかけたら倒れてしまったの!」

凛さんの声は明らかに震えていた。

僕の頭の中は一瞬にして疑問符が大量に湧き出たが、
それを一掃するように風が横切った。
目の前のこと、「救急車を呼ぶ」「タオルと毛布を持ってくる」
それだけが電気信号になって全身に伝わった。

「わかりました。」
そう言うと、凛さんの瞳が少しだけ緩んだ。
「だいじょうぶ。うん。ぜったい。」
そう言って、また外へ出ていった。

この言葉はきっと僕に向けているのではなく
凛さんが自分自身に言い聞かせているのだと思った。
そしてなんとも凛さんらしいと思った。

119番に電話をすると、倒れている人の状態を尋ねられた。
リビングに置いてあるブランケットを片手で取って急いで凛さんの元へ向かった。
お屋敷を出て森の奥へ走った。冷たい雨が頬に当たった。
すぐに凛さんを見つけた。凛さんは必死に何かをさすっていた。
怖くなった。さすっているのが倒れている人だということが分かっていたから。

土と雨でひどく汚れたスーツ
くしゃくしゃの長くて黒い髪
木の枝のように細い足
血の気が一切消えた青白い顔
もう息をしていないのではないかと心臓が止まりそうになった。
でもふと近づくとかすかに呼吸をしていた。
そして不思議なことになんとも安らかな
母親の腕の中にいる赤子のような顔をしていた。

数分後、救急車がやってきて
凛さんと彼女は乗り込み、去っていった。
「卓也、屋敷に電話をするわ。風邪ひくから早く戻ってハーブティーでも飲んでまっていてちょうだい。」
去り際に凛さんにそう言われた。
しかしとてもじゃないがハーブティーなんて気分ではなかった。
僕はしばらく雨に打たれてさっきまで彼女が横たわっていた場所に
ただ、佇んでいた。

ここで彼女は何をしていたんだろう

虚無感の中、それだけを考えていた。
しばらくの間そうしていた。

でもふと、去り際の凛さんの言葉が頭に流れて
僕はからっぽのまま
雨に打たれながらお屋敷に戻った。
そして受話器の前でタオルにくるまり、
じっとそれが鳴るのを待っていた。

それがもう三年も前になるらしい
つい昨日のように思えるのは
きっと凛さんも同じだと思う


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