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色眼鏡と評価:落合陽一さんの場合


落合さんも優しくて善良なのに、目立つ経歴を持ってるせいでそれが伝わりにくくて、大変そうに見えます。頭が良すぎて誤解され続けた人ではないかと思います。

他者への視点はとても公平で、人を経歴や肩書きで判断せず、純粋に能力を見てるのが分かります。

落合さんのネット上の評価は、落合さんをすごいすごいと持ち上げるか、頭は良いけど人格的にダメだとバカにするかの二極です。私が落合さんと知り合った頃、彼はその理由が分からず困惑しているように見えました。子供の頃から賢いから、そうではない人のことがよく分からないのかな?という印象です。

それは相対する人も同様で、「頭脳明晰」がどういうことなのか分からないために起きるスレ違いだと思います。

大抵の人は、自分と明らかに違う人をみると、自分とその人との間に線を引いて、相手を特殊な人種として扱います。そして壁を作って「○○な人はきっとこうだろう」というイメージの色眼鏡を通して見る。

「頭脳明晰な人はきっとこうだろう」「目立つ経歴の人はきっとこうだろう」という色眼鏡。

そして、その色眼鏡の違いが、落合さんをすごいと持ち上げるか、人格をバカにするか、に分けるのだと思います。自分と違いすぎて、同じ「人間」だということを忘れられてしまうというか。スペックが持つイメージで判断されてしまうというか。

相手はそんな風に色眼鏡を通して見ているのだけど、落合さんは視点が公平で色眼鏡の存在を知らないから、相手が色眼鏡を持ってることを分かってないような感じでした。どうして誤解されるのか分からなくて困惑してる感じ。

これは頭が良くて視点が公平な人が陥りがちな混乱だと思います。実際この話をしたところ、落合さんだけでなく頭脳明晰な(分かりやすく言うと学歴が非常に高い)方々から共感を頂きました。

この「色眼鏡を通した評価」は、良い評価も悪い評価も、当人にとってはどちらも「誤解されている」と感じると思います。

これは頭の良さだけでなく、平均から乖離した個性を持っている人に共通の経験です。よく誤解されると感じる人は「相手が持つ色眼鏡」を意識してみると少し楽になるかもしれません。

続き→色眼鏡の正体と解消法