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糸井重里の正体を見抜いた理由


参照:再起不能はどっち??

私は最初から糸井重里を拒絶し続けています。
最近は糸井の悪行の数々が暴露されて、糸井の周囲から人が離れていますが、私はそれほど関わっていない段階から拒絶していたので、その理由を聞かれました。

糸井の正体は、田中泰延さんを見ていて分かりました。

私は田中さんを通して糸井と知り合いました。
田中さんは個人だととても楽しくて善い人でしたが、糸井が絡むと明らかに悪い人になっていました。糸井のことしか見ていない感じで、尋常ではない気の遣い方でした。「腰ぎんちゃく」ってこういうことを言うのかなぁと知見を得たほどです。

それが理由です。

私が糸井の立場だと仮定します。

もし当時の田中さんのように対応されたら、私なら居心地が悪くて田中さんと付き合うのが嫌になります。気を遣わないように誘導するか、誘導の効果がなくてずっと腰ぎんちゃくみたいにされたら距離を置きます。

立場が下だと「気を遣っていた方が楽」という側面もあるので、その辺のバランスをみて双方が心地よい距離を探ります。

多くの人は私と同じだと思います。
異常に気を遣われたら付き合うのが嫌になりませんか?

でも糸井は、あの頃の田中さんの対応を「当然のこと」としていました。
私にまで「糸井を優遇すること」を要求してきました。

「他者に気を遣われるのが当然=自分は尊重されるべき存在」という傲慢な思考が丸わかりです。

その傲慢な思考は腐った性根から生じるものなので「腐った性根が透けて見える」と表現しました。

社会生活には多少の我慢は必要で、付き合いたくない人とも上手くやっていかなければならない場面は多々あります。ですが、それは双方向の話のはずです。片方だけが我慢する関係は不健全。私はそういう関係は要らないので我慢する側を求められたら離れます。

糸井に関わっていた人達なら同じ違和感を持っているはずです。他の人達は我慢してしまったのでしょう。私はその違和感を誤魔化さなかっただけです。