写真は「物質」である。「今井智己」トークセッションによせて。
かねてからのファンである 写真家 今井智己さんのトークショーへ行ってきた。
寒い寒い雨のそぼ降る夜。
大きくはない会場の不思議な熱量。
「何かを受け取ってやる」という観客の静かな熱に充ちていたことが、待っているあいだに伝わる。
今井さんの写真は常に「何を意図しているかわからない」、そのただ忽然としてそこに存在する。その静かさが魅力だ。
ご本人もまた、多弁な方ではないがその写真を思わせるような静かな魅力の方であった。
Twitterでフォローしてくださっているので、私の写真をご存じであり「切ない良い写真を撮る」と、社交辞令であっても言ってくださったのが嬉しかった。
※以下、写真は私の撮影したものです。
「写真」とは何かという問いに「写真ですら物質である」と言われたのが、私にはとても衝撃であった。
彫刻や陶芸などは「物質」と分かりやすい芸術だ。
しかし「写真」はその形状ゆえに「物質」であることを忘れられがちである。
だから、私たちはそこに「意味」を求めようと試みる。
そこに在るのは、やはり物質でしかないのに。
写真家の心を動かす、その目の前にある現実の「物」、その「物」である圧倒的な物質感がシャッターを押させる。
その瞬間を、忘れないように。
その瞬間は、繰り返される日々の現実のなかに、ひび割れのように混ざる「違和感」のような非現実的瞬間であったりする。
その「違和感」を、写真として見てみたい。そしてまた誰かに「見ることを与えたい」。それが、写真をとる理由だと、今井さんは言った。
お話を聞いたあと、果して自分は「物質」である写真に、何を映し何を捕まえようとしているのだろうと考えながら
混んだ半蔵門線に揺られて帰路についた。
まだ、わからないまま、それでも何か心の襞にひっかかった瞬間を撮していくのだと思う。
紹介していただいたジョン・マクロフリンの言葉のように「現実をしっかりと捕まえようと」私は手を伸ばし続けるのだと思う。
この、愛すべき現実の些細な瞬間を。
楽しい2時間半でした。今井智己さん、そしてオーガナイザーの木村朗子さん、本当に貴重なお時間を作っていただきありがとうございました。
お土産で頂いたチェキは、宝物にします。
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