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【海と山の境目】 第8話 透明な羽根

若い人たちに絵を描くことや、彫刻の創り方などを教える立場にあった隆志は、幼子の傷をさすりながら、羽根がはえると教え、悟られぬように泣きじゃくり、腫れあがった両目を押さえている若者には、うしろを見ながら歩けないことを教えた。手に取れないぬくもりは、透きとおり、若い心の傷跡を癒し、染み渡ると信じていた。

音楽のリーダーである指揮者であっても、曲の中にある空間を捉え、雲を掴むように動き、リズムの中を漂っている風を立体的に読み、雨の流れに浸透するような音を、観客に魅せる。振り抜く強さより、最短距離の速さを導く。力で切り裂くより、最短距離を振り抜いた方が速い。

隆志には自信があった。他の誰にも真似出来ない、芸術の指揮者として、教育の現場にいるのだと。やがて、自分の教えるスキルの駒が回転し、軸が正確にブレない好調な時期が来ていた。今、その頃を思い出せば、安定した駒を廻してくれていた雨音の存在を忘れていた。その時の隆志は、「あの時」、雨音と海へ向かう前の人生を歩んでいた頃だった。

ただ、若い人たちに、自分勝手に造り上げた夢の世界を話して、考えが同じ方向ばかりに流れてしまう危険だけは、絶対に忘れなかった。何かを視て、それに対して何を感じるのかは、決して固定してはならない。多様な考えを、自分のところでストップさせてしまえば、変化しないどころか、褪せてしまう。目の前に居る若い心に可能性を与えられれば、濃縮された新しい火種となる。だから、透明な時間の暗がりに、光る石を積み上げるような教育を心がけていた。

光が来るのを待つ中に、疲れることなどないのだから、時間を満喫できるのだから、針を持つ蜂、飛び立つ小鳥、どんな個性を持っていても、去っていく者の多彩な可能性の開花を願った。心の底から応援できる、見返りを期待しない自分には、余裕ができていた。経験は深みを与え、若さは活力を与えてくれることを、隆志は実感する。見方を変えた時、あふれ出る生命が脈動していた。

帰宅するルートを変え、薄暗くなった景色の中の線路に沿って歩く。汚く濁った川に、水が流れなくても、風が流れて波が立って、月の光はそのまま浮かんでいた。

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