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第117回 ガールズ・パーティー の巻
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当時、まだ詩宴は男だけのものでした。
宇宙人(?)宇多天皇は、前代未聞の女子会ならぬ女子の詩宴を開催します。
道真はこの時の宴の様子を記録していました。
美しく着飾られた女官たちの妖艶な様子が…これ、明らかに男どもを煽ってますよね?と思える文章です。
そんな文章を書かせた宇多天皇の意図とは…?
女の園・後宮の様子はそれまでベールに包まれていました。
後宮の女性たちを公開することで天皇の権威を見せつけたのでは?というのがひとつの推測です。
「いいなあ、女性ばっかのパーティーって…。やっぱ、宇多天皇ってスゲエな!」みたいな。
宇多天皇はもともと天皇になれるはずの人ではありませんでした。
天皇になったものの宮廷内に基盤もなく、即位するやいなや藤原基経にボコボコにされ、皇族や源氏たちからは「召使してた坊ちゃんがたまたま天皇になっただけ!」と、完全に見下されていたのです。
宇多天皇としては、まずは天皇としての権威を確立するとこらからのスタートで、女性だけの詩宴はその策のひとつだったと思われます。
歴史にある政争というのは男たちの戦いで、女性はそこまで関係がないと思いきや、実は背後で男たちを支配し操っていたということもあったでしょう。
後宮の女性をもてなし、味方に取り込むということはとても重要なことだったと思われます。
しかし、これは宇多天皇の実母・班子(なかこ)女王のアイディアだったというのが個人的な推測です。
余談ですが、のちに班子女王は当時まだマイナーだった和歌の会を盛大に開催します。
この会は、傍流だった和歌が主流の漢詩とって代わるになるきっかけとなります。
歌会は班子女王の趣味でもあり、息子の権威づけにも利用…と、一石二鳥な会だったわけです。
宇多天皇はハーレム状態でうらやましい!・・・というのはどうやら表面的な見方のようですね。
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