第121回 トップ会議 の巻
道真が昇進した時の公卿(くぎょう)は名門・藤原氏が7人、皇族系の源氏が6人のスーパーエリートのみ、他氏はナシでした。
そんな状況に宇多帝は能力主義を採用、道真が他氏として久々に抜擢され公卿になったわけです。
マンガでは道真サン、意地悪されていますが実際は道真が「参議」(公卿の最下位)まで昇進することは既定路線でした(祖父と父が参議だったので)。 本格的に意地悪されるのは、これらスーパーエリートたちをゴボウ抜きして中納言・大納言と昇進したあたりからです。
ただ、全員がアンチ道真というわけでもなく、リーダー大納言・源能有(よしあり)は道真と昔からの仲良しでしたし(母方が同じ大伴氏で年齢もタメ)、藤原保則(傍流の南家藤原氏)は道真が尊敬する人物で道真同様コテコテの現場主義者。時平もこの時点では道真派と思われます。
このあとの改革会議では意見がわれて紛糾しますが、藤原リーダー時平が道真の味方にいたことが政治改革を大きく進められた要因のひとつだったと想像しています。
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