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真ッ冬結成と初ライブ。ーamazarashiとあまざらし



あまり実感が湧かないが、今年の11月で真ッ冬結成5周年を迎える。ずっと突っ走ってきた!と言うよりかは、当時から探り探りでかなり慎重に活動していたように思う。今年もライブ本数はかなり減ったが、絶賛作曲に力を入れて充電中だ💪

さて、僕のnoteでは度々アルバムのテーマや楽曲制作の裏側などをちらほら書いているが、
そう言えば真ッ冬結成の経緯をあまり話したことがなかった。
結成当初も、「え!  いつの間に!?」という反応がほとんどだった。

と言うことで今回は僕がどのようにキーボードの山崎啓(やまざきけい)さんと出会い、真ッ冬結成に至ったかをつらつらと書いていこうと思う。





僕が最初に山崎啓さんを認識したのは、ホームである静岡Sunash(サナッシュ)のオーナー・ふさこさんからの紹介だった。

ある日サナッシュで弾き語りソロで出演した時のこと。

「amazarashiが好きなピアノ弾き語りの子がいるんだけど、知ってる??」


2019年当時、僕の周りにamazarashiを知る人はほとんどいなかった。確か東京喰種(トーキョーグール)の主題歌に『季節は次々死んでいく』が起用されて、世の中が認知し始めた頃だったと記憶している。

これは是非とも共演したい!と言うことで早速ブッキングをしてもらったのだが…………

ここから啓さんが風邪を引いたり僕が風邪を引いたりと、すれ違いの日々がしばらく続いた。
お互い出会う前から間が悪いこと😅


そして2019年の5月2日(木)
僕は啓さんと初めて顔を合わせ、初共演となった。啓さんは性格こそ温厚そのものだが、殊音楽においては意外とズバズバ言う人だ。初共演にも関わらず、曲の作り方や歌い方について色々な意見をいただいた。

更に同年の7月14日(日)
僕の企画【Story Seller】にも出演していただいた。お互いにamazarashiのカバーを歌い、企画も大いに盛り上がった。


Amayjigen presents.
【Story Seller】Vol.7



さて、啓さんと共演も叶って企画まで出演していただいたわけだが、ここまでユニットを組む話は一切出ておらず、未だ「amazarashiが好きな仲の良い共演者」に過ぎない。

僕らが真ッ冬結成にグッと近づいたのは、
この企画の打ち上げでの出来事である。





当時の僕はライブ終わりは必ず
カレーバー「SHINSUI」(現在は閉店)というお店に通い詰めていた。僕のnoteで度々登場していたブックカフェ「ネコノヒゲ」の前身のお店だ。

2018年12月3日 オープン当初のSHINSUI


企画の打ち上げとして、その日も共演者を連れてSHINSUIを訪れた。

するとそこで、たまたま先輩の高橋幹也(たかはしみきや)さんと居合わせた。ミキヤさんはバンド「気違い部落」のフロントマンで、僕がライブを始めたての頃にお世話になった方だ。バンドイベントのオープニングアクトとして呼んでもらったりもした。

先輩も交えて程よく打ち上がったところで、ミキヤさんからとあるイベントのお誘いを受けた。カバー限定のバンドイベントだ。

カバーのレパートリーも少ない上に、バンドを組むアテもなかった僕は及び腰だったが、
「やるとしたらamazarashiだよなぁ」と何となく考えてみる。

ここで、amazarashiについて少しだけ。

今でこそサポートメンバーを迎えてのバンド形態が定着しているamazarashiだが、彼らは元々Vo.&Gt. 秋田ひろむとKey.&Cho. 豊川真奈美の2人によるアコースティック編成だった。


そうかー
amazarashiのカバーをやるなら
ピアノがいればどうにかなるなー
誰かいないかなー

………………


お酒を片手にパッと横を見てみる。

そこには山崎啓さん。






あ、いた。


その時既に出来上がっていた僕は
啓さんに詰め寄る。


「啓さん、やりませんかぁ!!」

「え………」

啓さん当然ドン引き。

※ほぼ初対面です。


「やりましょう!  絶対面白いですよ!」

「え…………えぇ………」

※ほぼ初対面です。


実を言うと、この日のことはあまり覚えていない。確かその後すぐ解散して、僕は一人残って寝てしまって、朝の7時くらいに店長に叩き起こされて、こっぴどく叱られた😅


翌日、僕は素面に戻った頭で冷静に考えてみる。長らくソロで活動していたこともあり、僕は人と組んで音楽をやることに漠然と憧れがあった。

「やりましょう!  絶対に面白いですよ!」

昨夜、お酒に酔ってフラフラになりながら言った自分の言葉がやたらと現実的に響く。

その後、僕は啓さんにそれはそれはご丁寧に痛々しい長文LINEを送った。
昨日のライブでお世話になったこと、お酒の席で無礼があったこと、

そして、ユニットを組みたいこと。


あの時、僕も啓さんもそんなに本気で考えていなかったと思う。

「なんか面白そう」という軽いノリで、僕らの初ライブはすんなりと決定した。








さて、ライブが決まったからにはユニット名を決めなければならない。

amazarashiのカバーユニットなので、アルバム名や曲名からもじる案をいくつか出した。

覚えている限りでは、『ナモナキヒト』から「ナモナキボクラ」だとか、
最小単位を表す『ヨクト』から、一つ上の単位「zept(ゼプト)」だとか、
他にも10個ぐらい案があったような気がするけど、覚えていない。

折角なら覚えやすい名前がいいな、いやでもそこは振り切って変な名前でも良いのでは?
と練習と並行してちまちまと話し合っていた。

その中に、まだ「真ッ冬」の文字は無かった。

僕がその言葉を認識し始めたのは、丁度その時に読んでいた岡本太郎の『日本の伝統』という本からだ。当時の僕は有名作『今日の芸術』を筆頭に、岡本太郎作品にどっぷり浸かっていた。

この作品には「真っ当に〜」という文言が多い。文章の語気が強い上に、何度も何度も登場するので頭に残っていた。

そんな折、スタジオ終わりに啓さんとご飯を食べていた時のこと。「僕らって季節で例えるなら冬ですよね〜」みたいな話をしていた。
「冬」と、頭に残っていた「真っ当」がピッタリ重なった。

真っ冬ってどうですか!!」

その後、字面がちょいと可愛すぎるという事で、正式に「真ッ冬」となった。

そして、ちょいとかっこよくなったこの字面から、あのフレーズが生まれたのだ。



真冬のど真ん中に小さな爪痕、

真ッ冬。


初ライブまでの約3ヶ月間、僕らは仕事の合間を縫って狂ったようにスタジオに入った。
啓さんはスポットで何人かとセッションライブをやったことがあったが、本格的に人と組むの初めてだったそうだ。

スタジオに入るたびに新しい壁にぶち当たっては新しい発見があって、本当に刺激的な日々だった。






来たる11月2日。

この日のことはよく覚えている。

リハーサルの前にスタジオに入って最終合わせを行っていた。3ヶ月間みっちり練習した僕らは、ライブ当日にして最高の出来栄えだったと思う。

「出来もいいし、ちょっとタバコ吸ってこようかな?」と意外と余裕ぶっこいていたのを覚えている。結論から言うと本番ではバッチリ歌詞を間違えた。油断大敵である。


リハーサルを終えて、我々真ッ冬はトップバッター。すぐに出番だ。


緊張の瞬間。


真ッ冬  セットリスト

1.真っ白な世界
2.光、再考
3.少年少女
4.ひろ            (amazarashi)


『真っ白な世界』と『光、再光』は啓さん、
『少年少女』と『ひろ』は僕のリクエストだ。


特に『ひろ』は公式にも挙がっている弾き語りバージョンが大好きで、自分の弾き語りソロでも歌ったことがある。





真ッ冬の編成からして、どうしてもギターを置いてピアノ伴奏で歌ってみたかった。
ピンボーカルがどうも慣れなくって、お客さんからはどうもモジモジして見えたようだけれど笑、最高に楽しい30分だった。

お客さんの反応も上々で、先輩方からもお褒めの言葉をたくさんいただいた。


あっという間の3ヶ月。

僕らの初ライブはすんなりと決まって、
すんなりと幕を閉じた。





そんな初ライブを終えて、真ッ冬は間も無く5年目に突入しようとしている。
僕も啓さんも、ここまで続くとは考えもしなかった。

何せあの3ヶ月間、初ライブが終わった後のことを一切話していなかった。何なら真ッ冬を続けるかどうかすら怪しかったと思う。

だが、初ライブに手応えを感じた僕は、
啓さんにそれとなく言う。

「感覚忘れない程度に
月1でスタジオ入りませんか?」


僕らはその言葉通りに月に1〜2回ペースでスタジオに入り、カバー曲を中心に練習した。この時もお互いソロがメインで、具体的なビジョンも何も無かったと思う。



そのちょうど1年後、2020年冬。

僕らは真ッ冬として大きな一歩を踏み出す。


僕らの初めてのオリジナル曲
『りっとう』の完成だ。

その曲を皮切りに僕らは4曲のオリジナル曲を携えて、真ッ冬主催の『Story Seller』を開催した。



今回も長くなってしまったので、次回はこれらについて記事を書こうと思う。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました🙇‍♂️


またお会いしましょう。

それでは🐳



Shin Mizumoto (ex.Amayjigen)

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