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踊りのこと

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踊りについて考えたことや、見た舞台について
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#日記

2月1日からの一週間

2月1日久しぶりに日常雑貨を買いに行った。Sは全然服を買わないのだけどどれも古びたり穴が空いたものを繕ったりしていたが、流石に着るものがなくなってしまったのでレアルの大きなショッピングモールへ。 あまり大きな商業施設は好きではないけれど、短時間で複数の種類のものを買い揃えたいとなると便利な場所ではある。 パリは、女性を飾るものは安価でも多様な種類が手に入るが、男性の服はというとまったく酷い品揃えだ。ジーンズか、黒・茶・カーキのチノパンしかない。あとは安そうなプリントの灰色ぽい

ストレッチ放送を始めて3週間経ちました

ストレッチを毎日放送するようになって、あっという間に3週間が過ぎた。 どの時間になにをやってもいい毎日はそれはそれで楽しいものだったけれど、見たいもの読みたいものリストが自分の処理能力を超えて膨れ上がり、いつそれに手をつけてもいいとなると次第に何も選べなくなった。 毎日の予定がひとつ定まった今は、他の時間にも用事を割り振ることができるようになって、気持ちもいくぶんすっきりしている。 朝起きてSNSにライブ放送のお知らせを流し、家の片付けや掃除をし、着替えたりパソコンのセッ

秋を通り越して冬、読んだ本や見た舞台

ますます書くことから遠ざかっている。最近は日記どころかツイッターにも何を書くか迷う始末だ。だからといってインプットしているかというとそういうわけでもない。 受け取ったり考えたり感じたりして、ときどき何かを強く言葉にしたいと感じることもある、それは相変わらず強くある。 でも口から出てしまうと、軽薄なことをしたなという気持ちになったりする。 熟すのを待っていたら一生が終わってしまうだろう。だからときどき、不完全でもいいから書きたい衝動にまかせる。 最近読んで面白かったのは東浩紀

踊らなくても焦点を合わせよう、の日記

行き場のない気持ちになることが多い。 こういうことにずっと身を浸していると自分もひとを遠ざけるし、ひとも私に近づきたくなくなる。 今までどちらかといえば少なくとも表面的には楽観的に無邪気に過ごしてきたので、少なくとも自分が開こうとした時にはひとに受け入れられることが多かった。 でも、こういうふうに懐疑的で厭世的になってそれを長くながく続けてしまうと、排気ガスのようにそれが肌やわたしを包む空気を覆って、くすませて、触れたくないなという気持ちにさせてしまうことは良く知っている。

いらぬ心配、座り込んで考え込んで

毎週日曜日か火曜日には近くにひらかれるマルシェに行って一週間分の野菜と肉、魚を買ってくる。 魚は2枚におろして塩干し、野菜はビニールから出して紙に包み直して冷蔵庫、もしくは根菜は常温。 鶏肉は最近肉屋さんの鳥の捌き方をいくつか見て骨の抜き方を覚えた。動画のような穂先まで良く切れるように研ぎ直してないので少々苦労しながらも、手早く肉を解体できるようになった。 肉を解体しながら勢い余って左手の親指の爪を剥がす方向に曲げてしまってしばらく爪の中が青あざになって痛かった。 痛いのは