2021.5 東北探訪②
続きです。2日目は雨の盛岡市内のホテルでひっつみ汁を食べてからスタート。何故か仙岩峠へ。
実は2日目午前は小岩井農場で散策の予定だったのですが、前日の大雨予報を元に一転フリーに。。新緑の峠を見たいといった口実にこまちを見送らせていただきました。
そのまま峠を下れば田沢湖見学もきりたんぽや鶏飯を食べることもできたわけですが、日本海側から太平洋側にスプリントするにも限度があるので、残念ながらとんぼ返り。同行者が道の駅の温泉に入っている間、雨音を聞きながら車で音楽流してたわけですが、滝のように雨が降り続けて笑ってしまいました。
小岩井界隈まで戻り、「松ぼっくり」のアイスクリーム。Googleのレビューが良い所までは認識しておりましたが、空港に冷凍のお土産が置かれるレベルでソウフルードになっているとは露知らず、翌日仙台空港で見つけて驚いた次第。アイス自体はめちゃめちゃ美味しかったです。
お店に展示されていた岩木山と一本桜の絵。これが見たかった訳ですが、現実は甘くないですね。しかし本当に美しい絵でした。
小岩井からはノンストップで宮古、田老地区へ。宮古盛岡横断道路(通称復興支援道路)のお陰でスムーズに到着。通るまで存在すら知りませんでしたら、釜石道と併せて東西方向の重要な軸になっていると推察します。
※余談ですが釜石道は東北横断自動車道の釜石秋田線を構成する道路である一方、秋田自動車道とは一筋の横軸になっておりません。(他方、釜石道および秋田道のいずれにもE46のナンバリングが振られています。)
徳島道の徳島市街地ばりの我田引水さに気味の悪さを感じますが、道路の面白い部分でもあります。ただし現行のルートについても、考え方によっては有事における遠野市の拠点機能を強化することに一役買っている、という考え方もできるかもしれません。(遠野市の役割については陸前高田の伝承館の展示で詳しく解説されております。くしの歯作戦は復興支援道路の考え方にかなり通じるものがあるような気がします。)
話がかなりそれましたが、震災では先ほどの高さ10mの堤防を越え、集落に津波が押し寄せました。こちらの写真は更に外側で新たに堤防を作っている様子です。
事業概要
三陸鉄道のカラーリングの由来は存じ上げませんが、本来集落であったろう場所で、色々な制約によって未だ空き地のままとなっている光景、震災後新たに防災・減災を目的として作られた無機質な土木構造物の光景、そして生憎の曇天と、半モノクロの鬱屈とした風景にあってはとても映えるカラーリングであり、旅程の中でも強く印象に残った光景でした。
この後は三陸道を南下し、大船渡の宿にチェックイン。この日も沢山はしゃいだので、入浴後、和室の香りを味わう間もなく爆睡。
3日目に続く
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