言葉の賞味期限と定期点検
車の半年点検があった。
私が社会人になる際に購入した軽自動車は、購入してしばらくの間、車検の他に、半年ごとの定期点検を受ける登録がされている。
そして私が当時住んでいた場所は県境であったため、隣の県の車販売店で購入するという少しややこしいことになっている。
引っ越しをしてから2回目の車の点検で、小1時間ほど運転をしてお店にたどり着いた。
店員さんの、最近車を運転していてなにか気づいたことはあるか、という質問に対して、特にないですねぇ、と答えるいつものやり取り。
自分自身運転が雑で、あまり車を大事にしていないような自覚はあるが、その割には特にトラブルもなく、乗り心地も良いので気に入っている。
車の点検は半年に一回行うこと。
じゃあ乗ってる人の点検は定期的にやってるだろうか?
人間の点検で言うと、健康診断が一番メジャーかもしれない。
幸いにも、社会人になってからも私は福利厚生ということでずっと基本的な健康診断を毎年受けることができている。(本当に健康かどうかはおいておいて)
健康な体を維持するためには、パーソナルトレーニングといった外部に自分の健康管理を任せられるシステムある。
メンタル的なもので言えば、定期的にカウンセリングを受けるといった方法もある。
それに近いもので、月1程度の頻度で通う美容室の担当の美容師さんに対しては、近況報告や仕事の愚痴といった身辺的なものを話せているので、これも一種のカウンセリングに通ずるものかもしれない。
点検の少し長い待ち時間に、いろいろなことを考えていた。その中で出てきたのが言葉の賞味期限。
約束はいつまで約束になるのか。
いつまで期待をしていてもいいのか。
学生の頃、いつか一緒にディズニー行こうね、と約束した彼女の言葉は、その後すぐに賞味期限が切れてしまった。
彼女にとっては社交辞令程度のその言葉を、約束だと受け取ってしまったのが、私の運の尽きだったのだ。
それからも何度か人と話す中で〜したい、という言葉を信じて実行されなかった。最初から諦めも入っていた。
あれからしばらくして、私は社会人になった。
〜したい、を実行できるようにしていきたいと思っては、計画を立てるのが得意になった。
でも、その人にとって、〜したい。という言葉の賞味期限が切れてしまっている可能性を考えると怖くなる。
コロナウイルスの影響で、約束することすら憚られるしようになった。
それでも私はあのときの言葉の賞味期限が切れていないと信じて、いつか一緒に〜したい。をやり遂げられる未来を待っている。