習作 アガパンサス

 夏、路を歩いていると枯れかけのアガパンサスが一本、老人ホームの庭(というにはあまりに小さく、花壇というには少し大きかった)に咲いていた、というよりもただ立っていた。

 アガパンサス。そう、花の名前など当たり前に疎いわたくしがポピュラーな、例えば桜であったり、薔薇であったり、そういうものを除いて唯一知っている花。何故かといえば、かつて好きだった歌手が好きだったから。昔はその歌手の曲をカラオケで歌って、決して歌が上手いとは評されないわたくしがこれまた唯一高得点を出せることを鼻にかけていた。そんな歌手。今となっては、そう、今となっては。変わり果てたわたくしにとって過去とは偽史にも似るのだが、あの歌も最早、口ずさむことすら難しい。

 しかしアガパンサスだけは、依然としてわたくしに勇気を与えるのだ。この放射状に伸びた花弁の房の、その先端の膨らみにわたくしは女体を思い、また同時になにか、そこに詰まる科学に計り知れないものを感じる。

 鼻を近づけても、そこにはなんら薫りはない。仮にわたくしが盲であったら、そこに花があるとはとても思うまいと思うほどに、その花は存在を粛として、しかし盲にはなれないわたくしに有無をいわせずその青を叩きつける。

 そう、わたくしは盲にはなれないのだ。わたくしには四肢がこれでもかというほどにキチンと揃えられ、善く聴こえる耳と善く見える眼をもち、いくら煙草を吸ってもその尊厳を失わない口と鼻がついていて、少し前までどうしてか勘違いしていたような世界最大の不幸などとはあまりに遠く、縁もゆかりも無い身なのだ。

 それでもアガパンサスは勇気と自傷の象徴たる青を、否応なしに、まるで割れたワインの瓶を口に捻り込むが如く示すのだ。

 ああ、アガパンサスよ、しかし悲しいかな君は神の化身ではない。わたくしは終ぞ実行には移さないだろうが、君はわたくしの一存で如何様にもその姿を見るにも堪えぬ無残なものに変えるだろう。その膨らみの中にはなんら、価値のある不定形のものなどないことを簡単にも露呈するだろう。わたくしはいつしかそれほどまでに強力をもち、その気になればその強力は神すらもこの花に等しき無力を見なしてしまえる。

 神でないものを神と崇め、祈りの代わりに何を捧げれば良いかもわからずわたくしはわたくしならざるものとして生きている。

 アガパンサスよ、それでも君はその青をわたくしの目に注ぎ込むのだ。


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