わたしのためじゃない場所で・5

リエ『(N)今は、やめておこう。ちょっとまだ陽が強

過ぎる。今日はまだ暑くなりそうだし。夕方、いや、

もっと遅くなってからでもいい。出口は開いてるん

だから。何時でも、出られるんだから。わたしが好

きな時に、何時でも』

S・Eーブザー。ドア、閉まる。

昇降機、作動する。

リエ『(N)明日でも、いいんだ』

S・Eー昇降機の作動音、暫く続いてからF・O。

間。

S・Eーノイズが混じった、かなり不鮮明な音声。

微かに誰かが喋っているよう。

ノイズが徐々に晴れて、段々と声がはっきり

聞こえて来る。

マキ『(読んでいるように、力無く)わたしは、悪い、

子、でした。小さいときから両親の言う事をロク

に聞かず、姉の言う事も聞かず、我が儘ばっかり、

やって、来ました。お姉さんなのに、妹や弟の面

倒も全然、全く見ようとしないで、虐めてばっか

りいた、ひどい、悪い子です。でした。だからこ

れは当然の報い、罰なんです。誰も悪くないんで

す、只わたしだけが悪い。悪い子なんです』

S・E-マキの声、テープが停止して途絶える。

テープが早送りされる。

暫くして、再び再生される。

マキ『学校でも、わたしは悪い子でした。年下の子を

泣かしたり、嫌いな友達の持ち物を隠してしまっ

たり、脚の悪い、身体が不自由な人をからかった

りしていました。それから。わたしは飼っていた

亀を殺しました。自分で飼うって言い出したのに

その内飼うのが面倒になったので、餌をやらない

で、捨てて、踏みつぶして、殺しました。飼って

いた金魚も、殺しました。冬の、寒い日に、いき

なり水槽に冷たい水を足して、殺しました。見つ

けた捨て猫も、余り可愛くないから、只それだけ

の理由で見殺しにしました。拾って上げて、育て

れば良かったのに、そうすべきだったのに。野良

猫も、殺しました。急に路地から飛び出して来た

ので、びっくりして、避けようとしたら車道に出

て行って、車に轢かれました。避けようとしなけ

れば良かったのに、捕まえて上げれば良かったの

に。わたしが殺したんです。わたしは、学校の先

生も、殺しました。わたしを、引っぱたいたので

死んでしまえと思いました。わたしが悪かったの

に、お腹を壊してトイレにいて、授業に遅れて来

たわたしが悪かったのに、わたしがいけなかった

のに、先生は正しかったのに。先生は4年くらい

経って、病気で死にました。わたしが、呪い殺し

たんです。皆、皆。わたしが殺したんです。わた

しは悪い子なんです。とってもとっても、悪い子

なんです。だから、わたしはひどい目に遭って当

然なんです。いえ、当然の酬いを、罰を受けるべ

きなんです。罰を受けなくちゃいけないんです。

犯されて、乱暴されて、殴られて、蹴られて、火

を点けられて、殺されて当然なんです。これは罰

、わたしは躾けられてるんです。わたしは悪い子

です。わたしは、悪い子です。わたしは、悪い子

、です。わたしは、』

テープ、同じ言葉が延々と続く。

途中からマキの声、リエと重なっていく。

やがて、リエひとりの独白になる。

リエ『わたしは、悪い子です。わたしは、罪を、犯し

ました。わたしは、悪い子、です。わたしは、罪

を、』

S・Eー車の疾走する音、F・I。

リエの言葉、カーステレオから流れ続けている。

青葉『(N)スイ、君の所為じゃない。君の所為なんか

じゃない、この子も決して悪くない、悪いのは。(

少しの間)誰だって、あんな不条理な状況に置かれ

れば、どうしていいのか、どう思ったらいいのか判

らなくなる。不当で、非道な仕打ちを延々繰り返す

周りの方が悪いのは明らかなのに、誰一人、自分以

外の誰一人その事を指摘してくれない。自分を守る

者もいない。同じ状況に置かれている者もいない。

誰も助けてくれない。何も、何ひとつ悪いことをし

てないのに、何故そんな理不尽な目に遭うのか、ど

うしてもその理由が見つからない。恐怖、怒り、悲

しみ、絶望、そして諦め。それらを何度か繰り返し

ても尚、まだそんな状態が続けば。後は。ありもし

ない理由を作るしかない。自分を責めるしかないん

だ。こんな事になったのは自分の所為。自分が悪い

からこんな目に遭う。そう、思わないと、思う事で

辛うじてあの少女達は自分の正気を保って、地獄を

乗り切っていられたんだ。だが』

S・Eーテープ、停止する。

青葉『(N)君があの子達を、本当に助けたかったのな

ら、あんな事は起こらなかった筈なんだ。只、純粋

に救いたかっただけなら。だが君は。(少しの間)

いや、そうじゃないのかもしれない。やはり君は、

本当にあの子を、あの子達を救出したかっただけな

のかも知れないな。でも、それでも、結局は君は』

S・Eー鉄の棒が床に落ちる。

リエの荒い息遣い。

リエ『最低、最低、だって、あんたが、最低な女だって

、何よそれ、冗談じゃないわ、最低なのはわたし達

の方よ。あんたみたいな薄汚ない人殺しに助けて貰

うしかなかった、他に何もなかったわたし達の方だ

よ。そんな話、聞きたくもなかったわよ。あんたは

あんたが抱えてる、あんたが自分でやった下らない

事に縛られて、勝手に苦しんでればいいんだわ。で

もわたし達は、わたし達は違う。わたし達の誰も、

誰一人あんな目に遭う事なんか望んでなかったのに

。それなのに。何でわたし達があんな、ひどい目に

遭わなきゃならなかったのよ。畜生。何故。何故、

何でわたし達が。教えてよ、答えてよ、何か言える

のあんた、何も言えないじゃない、何も言えない癖

に、偉くもないのに偉そうに。(少しの間)わたし

達を助けて、あんたはそりゃ楽になったでしょうよ

、いい事をした後は気持ちがいいわよね。自分が正

しいって思えるんだから、そんな自分なら好きにも

なれるでしょうから。でも、わたし達は。何ひとつ

いい事なんか見つけられなかった。今だってそうだ

、あいつらに、あんな下らない連中に関わった不幸

な自分、馬鹿に関わった自分も馬鹿、馬鹿に関わっ

た自分が悪い、自分だけが、自分達だけが悪いって

思うしかなかった。あいつらにひどい目に遭わされ

て、その上。悪い事ばっかり、何一つ、何一つ正し

いものがない。いい事を何も見つけられない。あい

つらを憎んだって、自分達の事を軽蔑したって、ど

うにもならない。何も変わりゃしない。わたし達の

地獄はこれから始まるのよ。これからずっと、一生

続くのよ。死ぬ迄、あの事を隠して、あれに縛られ

て、誰もそんな事望んで無かったのに。誰も。誰も』

リエ、暫し嗚咽する。

リエ『(深呼吸して)だから、わたし達は、貴女を殺す

の。貴女が憎いから、貴女に感謝してるから、わた

し達の恩人の貴女を殺すわ。自分達が望んだ、自分

達が本当にした罪だけに縛られてこれから一生過ご

すのよ。あそこでの事を、少しは忘れる為に。わた

し達は、わたし達の選んだ罪だけ持って生きる。そ

して、此処を出て行くわ。今日こそ此処を出て行く

。今迄ありがとう。島本のおばさん。(少しの間)

さよなら』

S・E-殴打する鈍い音、何度も続く。

青葉『(N)君は悪くない、悪くないんだ、スイ。只、

あの子達にとっては遅過ぎた。余りにも、遅かっ

た。手遅れだったんだ。何もかも。(少しの間)

そして、更に悪い事に、あの子はあそこから出る

事は出来なかった。今でもまだあそこに残った儘

なんだ。いったん向こう側を覗いてしまった者は

例え一時こちらに戻って来れたにしても、やはり

完全に帰還する事は出来ないんだ。やがては、い

ずれ、いや、また直ぐに』

S・E-殴打の音、延々と続く。

青葉『(N)過去の罪を忘れる為に、隠す為に、更に

より大きな罪を重ねる。嘘が嘘を呼ぶように。繰

り返し、繰り返し。あの子はそれを、もう何回も

やってしまった』

S・Eー鉄の棒、床に落ちて転がる。

転がる音、暫く続いてからC・O。

青葉『(N)そして今、あの子はひとりだ。自ら望ん

で、ひとりになった。そして、これからもずっと』

S・Eーエレベーターのブザー、C・I。

ドアが開く。

靴音、暫く響いた後立ち止まる。

扉が開かれる。

開き切ってから、少しの間。

蠅が数匹、飛び交う。

リエ『こんにちは。また来たわ』

S・Eー扉が閉じる音、ゆっくりと。

混じってリエの含み笑いが微かに。

扉が閉まる音、大きく響く。

少しの間。

S・Eー昇降機、高速で動いている。

金属が軋み、ブレーキがスパークする。

マキ『わたしの、不幸の、全ては、わたし自身が、

望んだ、事。この世の、不幸の、全ては、わた

し自身が、望んだ、事。全ての、不幸は、わた

し自身が、望んだ、事。わたしの、不幸の、』

レコードの針が飛ぶように、ノイズで区切られたマキ

の言葉が繰り返される。

暫くリフレイン。

S・Eー昇降機のスパーク音、F・O。

長い間。

S・Eー車が疾走する音、F・I。

青葉『多分、あの時からなんだよ。全てがうまくいか

なくなったのは、あの時から。彼女が自分を呪い

乍ら死んでしまったあの日から。まるで全世界に

毒が廻ったかのように、何も、何ひとつ。あの子

も。君も、そしてこの俺も。(少しの間)多分、

あの子は、ひとりだけ残ったあの子は今も階段を

昇り続けているんだろうし、俺もこうやって、只

車を走らせているだけだ。そして、君は。スイ、

君は今、何処を走ってる』

S・Eーアクセルが踏み込まれる。

唸るエンジン。増すスピード。

携帯電話のコール音。

何時迄も続く。

やがて、全てがF・O。

ーENDー

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