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卒業生の声

島で暮らすという経験、地域の人々とのつながり、自然の中で得られた刺激や感覚。

親子島留学を通じて、留学する親子は島のひと・もの・ことに存分に触れる。

様々なことに地域とともに挑戦しながら成長し親子の絆を深め、卒業した家族の声。

親子島留学に参加した親子の「卒業生の声」をぜひ参考にしてみてください。


▶海士町に来るきっかけ

・子どもたちにのびのび生活する環境が欲しかった。自然の中でやんちゃになってほしかった。

・本物(生き物・魚など)に触れさせてあげたいとの思いがあり、体験に来てここだ!と直感的に感じた。

・環境によって価値観が違うことを感じたかった。

・上の子どもが就学する際に様々な教育現場を検討していて、その中の一つに「離島留学」の選択肢がありました。当時、上の子どもが小学1年生の時にWEBサイトのritokeiを見て、全国の離島留学について情報をまとめていました。その中で海士町の親子島留学を見つけ、「子どもだけの留学にはまだ小さすぎて不安だけど、親子でなら行けるかも」と思い、島育体験にまずは行ってみようというのがきっかけです。


▶島での生活

・学校から帰るとご近所のおばちゃんの家に行ったり、アジ釣りに行ったり、夏は海に泳ぎに行く。母は、近所のおばちゃんの畑を手伝ったりほとんど島から出ることなく島民生活を楽しんだ。

・目の前の海で取れた魚介や近所で採れた野菜でBBQしたり、図書館に居座っていたり、誰か捕まえてお喋りし たり、落ち 込んだりした時は、お気に入りの「牛の道」をドライブした。

・とれたてのお魚を捌いたり、お野菜も近所の方からたくさん頂いたり、子どもがいけないことをしていたら、親に代わっ て𠮟ってくださったり、大人が子どもと真剣に遊んでくれたりした。

・外食するのも大変だったので、基本毎日自炊だった。魚を近所の人たちから頂くので、最初はどうしたらいいのか分から なかった。

・島で働いたことによって、私たち家族を知ってくださる機会が増えて、お野菜や新鮮なお魚をくださったり、子ども達におやつやお祝いの品をくださったり、なにより気にかけていただけたことが本当に嬉しかったです。

・だいたい、仕事が終わる時間帯に誰かから電話がかかってきて、帰りに寄りなさいと言われて行くと、「ご飯だけ炊いたらすぐ食べれるからね」と言って夕飯を持たせてくれたり、休みの日には「ちょっと寄んなさい」と連絡が来てお魚を持たせてくれたり、島中にお母さんが居ました。

・自転車で出勤中に挨拶をすると「白菜できとるから持っていけ」と白菜片手に出勤したこともありました。

・仕事から帰ると、玄関に松葉ガニが居たり、袋いっぱいのレンコ鯛が居ることもありました。

・なにより嬉しかったのは、テレビで小学校の行事が放送されたり、島のイベントで子どもが発表をした時に、自分の孫のように島のお父さんやお母さんが観てくれて、一緒に子どもを見守ってくれていたことです。「頑張っていたね」「すごいね」「観たよ、上手だったね」と声をかけてくれたことは、子どもの心を豊かにしてくれた経験だなと感謝しかありません。


▶来島してからのギャップ

・こんなに人との関わりが濃いとは思わなかった。よそ者を快く受け入れてくれて、優しくしてもらえると思っていなかったので、驚いた。

・物価が高い、夏がとっても短い、洗濯物が乾きにくい

・人との関わり方がとっても深い。よそから来た我が家をとても温かく受け入れてくれた。

・食品や日用品等インターネットを利用して必要なのは買える。

・玄関前に誰がくれたのか分からない魚や野菜が置いてある。

・「魚いる?」と聞かれ、まるごとの魚をいただく。魚が豊富と思いきや、刺身や干し物は売っていない。島で採れない魚は貴重。

・10時、15時のもぐもぐタイムがあることです。忙しい仕事中でも必ずもぐもぐタイムがあります。

・島内のお店を利用したり、お弁当を注文したりするのも、最初は慣れなかったです。こちらが顔を知って、向こうに顔を知ってもらって、ようやく利用できるようになりました。一人でランチが食べに行けるようになるまで割と時間がかかりました。


▶価値観の変化

・サザエの価値が分からなくなった。

・最小限の物で十分に暮らせる。田舎暮らしは想像以上に忙しく(手仕事)、生きる知恵と工夫がたくさん「生きる力」は こういう環境で育まれると感じた。

・生活環境が変わって、頼れる身内も親戚も居ない環境で、最初は孤立感しかありませんでした。特にコロナの影響もあって、積極的に出れない時期もあり、子ども達にも我慢をさせないといけないこともありました。一人で連れてきた手前、自分がしっかりしないといけないという緊張も持っていました。

・生活に慣れていくにつれて人と人の繋がりが徐々に広がっていくうちに島の人たちの生活を知る機会が増えていきました。古きよきものを大事に使うための工夫やないものは本当に何でも作ってしまう知恵や知識に驚くことが多かったです。

・お山の教室に通っていた子どもは、毎日の活動で服は穴だらけ泥だらけ。けれど、それを見た島の人たちは、「お山でいっぱい遊んできたね。よかったね。」と声をかけてくださって、最初は穴が開くたびに縫い繕っていたけれど、次第に大きな穴が開いていても私も子どもも気にしなくなっていました。

・あるものを使えばいい、なければ別のものでいいという価値観は今も大事にしています。


▶島での生活が与えた影響

・物おじせず、積極的にチャレンジしたり、意見を言えるようになりました。

・荒れた海、豪雨、停電など経験し、自然の偉大さを身体で覚えている様子です。

・都会の海(整備された砂浜)やちょっとした自然では物足りなくなった。魚の名称をたくさん知っている。

・冷凍庫が必需品になる。ある時に何でも冷凍して保管しておく習慣が身につく。1年分のワカメとか筍とか。

・2拠点生活で東京に戻っている時も、すれ違う人の顔を見る習慣が抜けず、ひどく疲れた。

・人にやさしくなれるようになった。

・離島留学したことで、上の子どもは「元の学校には戻らない。少人数の学校に進学する。」ということを自分で選択しました。これは、非常に大きな変化だと思いました。

・自己決定する力をつけられたこともそうですが、最初は行くのを嫌がっていた上の子どもが二年経つと嫌がらなくなり、その理由が「島の地域の人たちが関わってくれていること」だと話してくれた時に、行ってよかったと思いました。

・お山の教室に通いましたが、今でも驚くことが日々あります。子どもの心が育つ大事な時期に、大事な感性を育ててもらえたんだなと感じます。自分の思いや感じていることを言葉に出来るようになったのは、この島留学あってのことです。

・母自身の変化は、「忘れていたことに気づいた」ことだと思います。便利さに慣れて、周りの価値観に慣れて、自分の良いところを見れなくなっていました。そういえば誰かに食べてもらうことが好きだったなとか、人と集まって話をすることが好きだったなとか。

・古いものを大切に使うことや長くもたせるために加工する工夫、なにより、何かあった時に「あの人、大丈夫かな」と気にかかる付き合いの大事さなど、日々の中で忘れていたものを再確認できたことです。


▶親の挑戦や苦悩

・本当はもっと寛大になってあまり細かい事を子どもに言いたくなかったけど、自分だけしかいないと思ったせいか、子どもを怒ることが多かった。またそれを反省する事も多かった。

・いざ自分1人で3人の子どもたちの事を全てみるとなると、当初は緊張感もあり気を張りすぎてたかもしれない。

・お惣菜等を手軽に買えるわけでもなく、魚も切り身で売っているわけではないので、全てが手仕事で慣れるまでは本当に 大変な仕事でした。その分、食材の有難さ自然の恵みへの感謝の気持ちは都会以上に感じられました。

・海士町に行く前は車の運転はしていなかったので、毎日の送迎はがんばりました。

・介護の仕事をしていたのですが、最初は方言が何を言っているのかさっぱり分かりませんでしたが、離島する頃には聞き取れるようにりました。

・私の目標は、「子どもが行ってよかったと思える日々を過ごすこと」でした。特に上の子どもは、生まれ育った環境を離れ、お父さんと離れて生活することを嫌がっていたので、上の子どもの精神的な変化には気を張っていました。

・大事な友達も出来て、時には喧嘩をして「こんなこと言っちゃった」と泣いて帰ってくることもありましたが、喧嘩できるくらいの仲になる友達が出来たことは本当に嬉しかったです。

・上の子どもと向き合えるのが最初は私しか居ないと悩むこともありましたが、周りのお父さんお母さん達も一緒に考えてくれて、時には上の子どもにそっと寄り添ってくれて、ここでも人を頼っていいんだと思えるようになりました。


▶島留学を終えた後の変化

・挨拶が出来るようになったり、係のリーダーや委員会に立候補したり、積極的になった。子どもたちは自信をつけたと思う。

・海士町での子育ては、ほとんど叱ったり注意したりすることがなく、母も子どもものびのび生活していたが、家に戻ってからは、周りの人に迷惑にならないように小言も言わねばならず、親子共に離島直後はストレスを感じた。

・海士町に戻りたい!と毎日のように口にしているが、子どたちの島留学の感想そのものなのだと思います。子育てには最高の環境でした。

・レンタル農園で野菜を育てるようになった。家の修繕などDIYや丁寧な暮らしに関心が向くようになった。

・親子島留学から帰った後、私たち家族は市内二拠点で生活しています。平日は、母と子ども二人の生活、週末はお父さんの居る家で家族で過ごす。島での生活があったことで、以前よりも言葉で伝えることが多くなりました。

・子どものことや自分のこと、距離があることで返って思っていることを言葉にすることが増えています。子どもが少人数制の学校を選択したこともありますが、私たち家族はこの形が今はベストだとお互いに思えるようになりました。

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