ちょっとサワーな傑作短編小説集!

 私は基本的に海外作家の小説は、読まない。特に文学作品は。文学は文学であるがゆえに、訳した途端にベツモノになってしまうと思うからだ。かといって語学力皆無の私には、文学作品を読みこなす力量なんてあるはずもない……

 そんなわけで私はいつも日本の小説ばかりを読み、海外文学はよほど有名な古典作品か、または大人気映画の原作、文章よりもトリックが重要なミステリくらいしか読まない。だからまだ年若い海外作家、ジェニー・ザンをこんなにも早く手に取ったのは異例であると同時に幸運な偶然のおかげだと言っていい。

 ジェニー・ザンは中国系アメリカ人女性で詩人・作家・エッセイストの顔を持つアメリカでも注目の若手移民作家であるという。聞いたことがないと思ったらこの「サワー・ハート」が初の短編集、当然和訳単行本もこれが初めてということだ。

 最初の短編を読んだ瞬間から「これは純文学だ」と感じた。純文学という言葉はオカシくて、この極東の島国以外では使われていない概念だと思う。何が純文学で何がそうでないのかも、いまだによく分かっていない。定義があいまいなものだから、どういう条件を満たせば純文学になれるのか、私もずっと首をひねっていてる。

 だがもしも仮に、この作家が日本語でこの内容を文芸誌あたりに発表したら、まもなく芥川賞の候補になるだろうというような印象を持った。それくらい、輝いていて力強く非常に「文学的」だったからだ。

 この七編の短編の主人公は基本的に小さな女の子で、話題の中心はその家族と少しの友だちで、彼らは時にびっくりするほど猥雑でたくましい。こういうギラギラとした野性味は若い日本人には見られないだろうなあと思う。小さな女の子が主人公であれば児童文学なんかにも組み入れられそうなものだが、おそらくこの本を児童文学コーナーに置く書店は一軒もないだろう。主人公はオシャマでもなければ優等生でもなく、とっても「サワー」な女の子なのだ。

 日本人の私にはサワーと言ったら夕方の居酒屋で安くなるアルコール飲料のことで、ソーダ水でシャワシャワしているから「サワー」なのかななどと頓珍漢なことを連想したりもするが、ザンの言う「サワー」は「すっぱい」のサワーのようだ。人生をスィートでもビターでもなく「サワー」と表現する感性があまりにも、素敵だ。映画でよく「オー、マイスィートハート!」なんてやってるあれ。ザンの書く女の子たちはそこで「オー、マイサワーハート!」と呼ばれるわけだ。ひとつひとつの物語を読んでいるうちに、梅干し食べてすっぱくなった顔の女の子たちが目に浮かんできた。アメリカや中国に梅干しがあるかどうかは知らないが。

 小説の中で気に入った文があった。「中国語の『拷問』という言葉は『豆』に発音が似ていた」中国語のできない私にはなんのことかさっぱり分からず、ネットで検索してみたがやっぱり分からなかった。この一文を読んで私はこんなことを思った。「英語の『拷問』という言葉は中華食材の『豆豉』に発音が似ている」私はどちらもトウチーと発音しているのだが、おそらくアメリカ人にも中国人にも伝わらないだろう。

 最後に翻訳について。この本を読んでもやはり原文が読んでみたいなあと思ったけれど(一文が長くてずるずる続く文体らしい)、十年くらい英語を習ったはずなのにさっぱり読めない私の語学力では歯が立ちそうにない。かわりに工夫を凝らして訳してくださった翻訳家の小澤身和子さんに御礼申し上げます。この字の詰まった真っ黒な紙面は原文の雰囲気を表現したものなのだろうと思います。ぎょっとするほど詰まっているのに、するする読める素敵な言葉でした。おかげさまで日本語しか理解できない私にも物語を楽しむことができました。

 また、私がジェニー・ザンのデビュー作にこんなにも早く手を伸ばすことができたのは、#読書の秋2021 の企画のおかげでもあります。この本を課題図書にしていただいて、ありがとうございました。

この記事が受賞したコンテスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?