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シンエヴァの感想、マジでただの感想


先日、シンエヴァを見てきました。

あまりにも思うところが多く、ここで書ききることは出来ませんが、自分の気持ちの供養だと思って、思いついた部分・覚えている部分だけでも感想を残しておこうと思います。

1回だけしか視聴しておらず、内容もふんわりとしか覚えていませんので、細かい部分の誤りはお許しください。

また、あくまで自分が感じたことや、思ったことをつらつらと書いていくだけのnoteになります。考察とか伏線とか、そういう難しい話はほとんどしていないので「俺はこう思ったよ!!」という感想文としてお楽しみください。

※以下、ネタバレを含むためご注意ください!!






シンエヴァのテーマとして挙げられそうな言葉って何でしょう?
「親子」「成長」「再興」「責任」「贖罪」とか、そんな感じでしょうか。

たくさんのメッセージが込められていて、見る人によって刺さるシーンは違うと思いますが、今までのエヴァのなかで最も分かりやすく、そして温かい物語だったと断言できます。

そんな中で、自分が刺さったシーンを抜粋して、自分の感じたことをベースにして記述していこうと思います。


■『親子』としての物語 ~シンジとゲンドウ~

シンエヴァで物語のキーとなったシンジとゲンドウの親子関係ですが、この二人(他のキャラクターもですが)は庵野監督のなかにある人格を、監督自身が意図的に映し出したものです。

シンジとは、つまり庵野監督のなかにある「子供」の人格です。置いて行かれる恐怖感、認められたいという承認欲求、異性に対する手探りな好奇心、そうした要素を兼ね備えたキャラクターが碇シンジです。

対してゲンドウはどうでしょうか?
ゲンドウはシンジの目線から描かれることが多く、冷たくていけ好かない謎の多い親、という表現が目立っていたかと思います。ある意味、シンジにとっては使徒以上の敵と言っても良いかもしれません。しかしそれと同時に、シンジはゲンドウに認めてもらいたいという感情も強く抱いており、碇ゲンドウというキャラクターは、シンジの敵対心と承認欲求の織り交じった対象物、というイメージが強くありました。

つまり、我々視聴者もシンジと同様にゲンドウのことをよく分かっていなかったのです。実際、ゲンドウが人物として描かれているシーンはこれまでほとんどありませんでした。

ところが、シンエヴァではその碇ゲンドウという人物の内面が色濃く描かれていました。そしてその内面やバックボーンは驚くほどに繊細で、まるでもう一人の碇シンジのようでした。

内面世界を表した例の電車に碇ゲンドウが乗車したシーンで、シンジがゲンドウのことを親という「記号」ではなく一人の「人間」として見つめ、勇気を出して触れ合おうとしたとき、初めて互いのことを理解し合える可能性が生まれた、という感覚が、ゲンドウという謎多い人物の内面描写を通して、直感的に視聴者に伝えられるような構造になっていたのかな、と思います。

また、ゲンドウの「私は、子供という存在が自分の人生を幸せにするものか分からなかった」という吐露は非常に考えさせられる台詞でした。そんな言葉は親として失格だ、と唾棄するのは簡単ですが、それが他人との接し方が分からない人間が放つ取り繕いのない生の言葉なんだ、というリアルさを感じました。

子供の扱いが「分からない」という感覚は、やがて子供そのものへの「恐怖感」へとなり、劇中では「ATフィールド」という形で表出することとなった。しかし、それは我が子であるシンジに手渡されたウォークマンによって中和されます。

あのウォークマンは、ゲンドウがシンジに与えた唯一の贈り物です。ゲンドウと同じく孤独な性格であるシンジは、これまでずっとそれを使って外界との繋がりを遮断して来ましたが、二人の「孤独」に対する共感が、ゲンドウとシンジの壁を取り払うきっかけとなったのでしょう。

その一歩を踏み出したのはシンジの方でしたが、それを受け入れたゲンドウもまた、大きく成長を遂げた人物の一人であることは間違いありません。


■『再起』するための土台 ~シンジと周囲の人々~


「放っておいてほしいのに、どうして皆そんなに優しいんだよ……!!」

碇シンジの悲痛なこのセリフは、心に刺さりました。

前作でのエヴァQの惨劇を引き起こした責任感から、碇シンジは失語症のような状態になり、廃人と化してしまいます。しかし、周囲の人間は、そんな無気力で何もしようとしないシンジを見放さず、懇意に世話をし続けました。

途中、アスカだけはそんなシンジに嫌気がさし、多少の乱暴を振るったものの、彼女もなんだかんだシンジのことを大切に思っている描写が多々挟まれており、終始、シンジの周りはとにかく優しい人間に溢れていました。

シンジの「放っておいて欲しい」という台詞は真意でしょうが、それ以上に周囲の優しさに救われていたことも事実であったはずです。

大きく傷ついた心を癒す土台として人の優しさは必要不可欠ですが、同時に傷心した当人にとっては心を苦しめる刃のような存在にもなるでしょう。

「何故自分なんかに優しくするのか?」
「自分にそんな価値があるのか?」
「その恩は返さなければならないのか?」
「けどそのお返しでまた誰かを傷つけるのではないか?」

そんな自問自答がずっと心の中でこだまし続けていたんだと思います。傷というのは治りかけが一番痛むもので、シンジの悲痛な叫びも、立ち直る直前だからこそようやく出た本音だったのだろう、と痛感しました。

では、何故周囲の人間たちはシンジを見捨てなかったのでしょうか?

それは、彼らが皆シンジのことが好きだったからです。

エヴァ序で、シンジはトウジとケンスケに出会いました。そして、シンジは二人を命懸けで使徒から守りました。トウジとケンスケは、シンジが決死の思いで使徒と戦っている姿を目にし、徐々に友好関係を築いていくことになりました。

エヴァ破で、シンジはアスカと出会いました。ずっと「エヴァに乗ること」でしか自分の価値を見出せなかったアスカにとって、普通の友人として接してくれたシンジに救われたことでしょう。

エヴァQで、シンジはアヤナミレイに出会いました。これまでの綾波とは別人なのかもしれませんが、シンジは彼女のもとに足しげく通い、懇意にし続けました。

他にも、シンジは色んなところで他人を救ってきました。それは、文字通りエヴァに乗って使徒から人類を守ったという部分もありますが、作中では描かれなかったような、小さくて何気ない優しさを、彼ならどこかで振りまいていたことでしょう。

シンジ自身の目からは「自分はダメな奴だ」と見えているかもしれませんが、本当は、彼自身とても優しい人間です。実際、アスカが乗った参号機と対峙したときも「アスカを殺すくらいなら自分が死んだ方が良い」と叫び、戦おうとしませんでした。碇シンジは、自分の命より他人の命を重んじる、それはもう大した男なのです。

そんな、自分の美しさに気づいていなかったシンジが撒いていた優しさの種がようやく収穫された、第3村からヴンダー帰還までのシーンは、とても印象に残りました。周囲の優しさとは、即ち自分の優しさだったのです。


■その他「沁みるぅぅ~~~」となったシーンなど

真面目な話が続いたので、最後は普通に好きだったシーンを列挙して、心を落ち着かせようと思います。

※以下、更に濃いネタバレのためご注意ください!!





・リツコ VS 冬月 の戦艦バトル
ミサトとゲンドウの補佐的なポジション色の強かった二人の対決。こういうサブキャラポジションのキャラ同士がぶつかるヤツ、オタクはマジで好きがち。冬月先生、将棋が強いってことは、当然実践もつよ~~いワケですね。かっこい~~~。

・リツコの発砲
旧劇の話で恐縮ですが、ゲンドウに好意を抱いていたリツコは、ゲンドウの暴走を止めるために彼を殺そうとするも失敗し、逆にゲンドウに打ち殺されてしまいます。しかし、シンエヴァでのリツコはゲンドウの頭を躊躇なく撃ちました。Qの時点でショートカットになったのは、ゲンドウと敵対して女としての自分を捨てた、という象徴なのかと思っています。

・ミサトの最終戦
制帽を脱ぎ捨ててあの頃の葛城ミサトの姿に戻るやつ。そういうのめっちゃ好き~~~となってました。

・カヲルの涙
ずっと傍観者として超人的なキャラクターを演じていたカヲルが、シンジの成長に伴い自分の本心に気づき、涙するシーン(うろ覚えなんで俺の幻覚かも)。あの渚カヲルが・・・?と衝撃を受けましたが、彼は碇ゲンドウにあったかもしれない父性を象徴しているのでしょうか(Qでウォークマンを直す、ピアノの連弾、シンジを幸せに導く、etc…)。

・声変わりするシンジ
はいこれ2億成長ポイント。大人になったなシンジさん。

・実写エンディング
庵野監督は「オタク、現実みろよ~~」的なことを旧劇の頃から伝えたかったようなので、多分そういうアレです。けどエヴァ面白すぎて現実みれね~~~、あざした。


はい、という感じでシンエヴァの感想文は終わろうと思います。

また何か思うところがあれば追記するかもしれません。最後まで見てくれてありがとうございました~。

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