【買い物】×【満足感】×【一期一会】

正月に帰省し、時間が余ったので地元のイオンをぶらついていたときの話。
必要なものは特にないけど、欲しいものくらい何か見つかるかなー、くらいの感覚で店内を物色していました。

「そういえばマフラー欲しい気がしてきた」とか、
「サイコロ入りのこの雑貨、800円なら買いか・・・?」とか、
「無性にジグソーパズルしたくなってきた」とか、
微妙な物欲はふつふつとわいてくるのですが、どれも購入までには至りませんでした。

買わなかった理由は2つあります。
「勝った瞬間、幸福度が落ちていきそう」
「似たようなもの、あとでネットで買えるしな」
こうした感情が最後まで拭えなかったからです。


・「買った瞬間、幸福度が落ちていきそう」

ぶっちゃけ20年ちょっと生きてると、自分の飽き性な性格を痛いほど自覚するようになったので、「これ買っても絶対そんなに使わんし、ハッピーにならんわ・・・」と先を見通せるようになってしまいました。

実際、マフラーも雑貨もジグソーパズルも、買ったとしても大して使わないと思います。ジグソーパズルに至っては箱を開封しない可能性が98%くらいで、多分そのままメルカリに出すのが関の山でしょう。けどメルカリに出すにはサイズが大きいし送料がかかるので、結局捨てるのが現実ですかね。

まぁそんな感じで、買った瞬間しか幸せになれなさそうだな、って感じてしまうと、何だかそんなものを買おうとする自分が馬鹿らしく思えてきて、本当は幸せになれるはずの買う瞬間でさえ、ハッピーに思えなくなってくるんですよね。
「じゃあもう買わんでええや」と、なるのは自明の理、ロック・リーなので、そのまま店を後にしました。

そのときふと、
「最近、便利なものには金使ってるけど、幸せになれるものに金使ってなくね?」と思い立ちました。「買った瞬間だけで良いから、幸せを感じるのって大事なんじゃね?」というひらめきですね。知らない間に、買い物を崇高なものと考えすぎていたようです。

これからは「買った瞬間に幸福度が落ちそう」ではなく「買った瞬間は幸福度が爆高そう」に思考をシフトして、価値基準の視点を変えてみようと思います。これはマジで書いてる今思いました。アウトプットって素敵。


・「似たようなの、後で買えるしな」

実はこっちが本題。

結論から言うと、現代は「商品に対する一期一会という付加価値」が無さすぎるということです。

今から20~30年ほど前は、店頭に赴いて、その場で 買う/買わない を決めなければなりませんでした。今、目の前にあるその商品が、買い手にとってのすべてだったのです。
しかし、今はそんな時代ではありません。欲しい商品の名前・ブランド・サイズなどをメモしておけば、後からネットショッピングで悠々と手に入れることができます。それどころか、メルカリでもっと安く手に入れることすらできるかもしれません。

おかげで、ぼくはもう自分の物欲と真剣に向き合う瞬間がほとんどありません。「必要」は自覚できます(≒論理で分かる)が「物欲」はもう自覚できないレベルまで落ちています。衣類も、食事も、住居も、趣味も、さして金を使おうと思えるほどの熱量はなく、なら一体、欲望の源泉をどこから求めればいいのか?と、思い悩む日々です。

欲望が無いのは平和で幸せなことだと思っていましたが、決してそんなことはありませんでした。
恐ろしいことに、欲望がなくなると「欲望を求める」ようになるのです。
欲望のなかで極めてシンプルな物欲の正体が自分で分からないというのは、ある種の不幸であり恥ずかしいことだと思います。それほど自分のことを理解できていないということなので。


そんなこんなで、イオンの買い物中に感じたことを綴りました。
たまには伸び伸び字を書かないと、脳みそにモヤモヤが溜まってしまうので、定期的に発散していきたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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