整理整頓をしなかったお陰で太らない話

大きな風呂敷を広げた割に、何の根拠もない感想に過ぎない。

 都内を歩いていて、ふとビルの窓に映る自分の姿が目に入った。
 違和感がある。その歩く姿に、僕が普段見ている他人の歩く姿と比べて違和感を覚えた。
 疑問が何か判明したのは、また後のことである。

 頭からお腹にかけて、体幹が全くブレていないのである。普通の人は、たいていは頭を上下に揺らして歩いている。それが自然だが、僕は周りから見れば、手と足が動いているだけで幹の部分は微動だにせず宙にホバリングしているかのような、不自然な歩き方だったのである。仮に僕がポニーテールの可憐な美少女だったとしても、その髪を揺らすことはなく多くの男性諸君を失望させていたに違いない。
 そしてその理由として、主に腹筋などに常時力を込めながら歩いていたことがあげられよう。お腹をだらーんとさせて歩くと、確かに違和感のないウォーキングフォームになった。

 また、もう一つ情報として、僕は日々ラーメンをスープの最後の一滴まで摂取することに勤しんでいて、特に家系ラーメンにおける「多め・硬め・濃いめ(順不同)」を飽きるほど食い、飲み干している。正直体が壊れてもおかしくないと思っている。
 一方運動は、陸上部に所属していた中学以降は全く、高校時代は体育の授業が週数時間あったが、今となってはそれすら当然ない。せいぜい通学時ぐらいである。
 にもかかわらず、体重は適正体重値を前後(中学時代部活全盛期よりは少ない)し、パンデミック禍で全く外出していないときは多少落ち込むなどしたが、基本的に変動はない。体型的にも腹が出てきたとか、そういうのは全くない。

 以下、推測である。子供の頃の情景である。
 小学校に上がった僕は、重いランドセルをしょって学校へ通っていた。重かったランドセルは6年後、重いリュックサックへと変わった。
 今も現役のそのリュックには、大量の教科書類、プリント類、体操着類など、雑多に詰め込み、家に帰るとほっぽり投げたままで、次の日にはそっくりそのまま持って行っていた。整理整頓なんて言葉は僕の辞書には存在しなかったのだ。
 重いものを背負っているとき、人は脱力状態では歩くことはできない。しっかりと軸をブラさず、腹筋に力を入れて歩かなければならない。
 そしてそれは、普通の歩き方よりも多くのエネルギーを消費しているに違いない。

 三つ子の魂百まで。僕の歩き方は、腹筋が衰えを隠せなくなるまで変わらずに続いていくのだろう。

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