エロ本屋に友達と来るな

 僕が高校時代より贔屓にしている、とらのあな秋葉原店。1階から4階までが全年齢対象の健全的商品が並んでいて、地下1階と5階以上に追いやられて、公序良俗を乱す淫らな本どもが陳列されている。

 地下1階は商業誌と多少のエロゲ類のシマであり、ここはさすがに複数人のご来店は少ない(ときどきはいる)。その道のプロの先生方の作品であるが故、表紙からより過激であることが原因だろうか。さすがにためらわれる何かを感じるのかもしれない。

 一方、上の階はわりといるのだ。階段をえんやこらと登って、5階と6階は同人の成年向け作品、いわゆるエロ同人のフロアであり、なぜーか二人連れの客がまれによくいる。三人以上もレアキャラだがいなくはない。この現象を「とらのあな5階現象」と名付けたい。

 もちろん、作品のストーリーのみを楽しむ猛者も存在しうるかもしれない。好きな一次作品の解釈が、その二次作品の作者さんと精巧にマッチしていて、涙を流して感動しながら読んでいる人もいるかもしれない。
 しかし、性交を描写しているヤツらを使用する「目的」は自慰行為以外逆張りと言い切って良い。
 そんな作品を前にくっちゃべってる奴らに問いたい。

「おい、自分のオカズを知られ、他人のオカズを知ることに抵抗はないのか?むしろオープンな感じなのか?」

 ひとつ経験があって、高校時代に艦これの友人ができたが、そいつは修学旅行で由良というキャラのTシャツを着ていた。当時は由良の同人誌をFanzaで購入していたほど好きなキャラの一人であった。しかし彼は舞鎮所属のいわば古参プレイヤーであって、カタカナ鯖の僕よりもはるかに永い時を由良と過ごしていた。
 僕はふと、由良を見る目が変わったことに気づき、由良に対し性的興奮を抱くことはなくなった。
 オタクという人種が、自分の妄想想像の世界に閉じ込められた中二病を引きずった生き物である以上、誰かが誰かを用いて致しているという文脈の一端から、きわめて汚い妄想を始めてしまうのは必然である(かなーり抽象的表現に留めておきたい)。

 仮に同じコミックを買ってしまったとしたら、毎回の自慰時の絶頂の瞬間に、脳裏をふと友人の顔がよぎってしまうに違いない。シコリティに直結する切実な問題である。

 あと、複数人いることで気が大きくなっているという問題もある。これは僕の嫌いな?公共のマナー的問題になるが、

 てめえらの声、意外と周りに聞こえてんだよ。うるせえよ。

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