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木原音瀬『箱の中』『檻の外』

*表題を一冊にまとめた講談社文庫版が紙書籍・電書ともに入手可能
2012年9月14日発行

私がこの作品を読んだのは2006年蒼竜社の初版なのでもう18年も前の作品なのだけどやっぱり名作は色褪せない。
物語は痴漢冤罪に遭い示談にも応じなかった為服役することになった主人公・堂野崇文の話で始まる。公務員であった職も失い、家族にも迷惑をかける結果になりつつ、どうしてもやっていない罪を認められなかった堂野は警察にも社会的にもひどい扱いを受けている。
そして入れられた刑務所には実際に罪を犯した人間達と過ごさねばならず絶望感にうちのめされていた。
ここを読むと、痴漢冤罪もまた酷い目に遭うのだなと思ったりする。
普通の人はやっていなくても罪を認め示談に応じた方が実刑を受けないので折れてしまうのもむべなるかな。
が、堂野はどうにもそれが出来なかった。これが堂野という男の核ではある、折れない生真面目さ。

一方、同じ房で行動する席や寝る場所など隣り合うことになった背の高い無口な男、喜多川圭は実は殺人犯であった。
母親にほぼ育児放棄されながらも成長した喜多川はその母親に殺人を押し付けられ服役していた。教育も低く感情もよく読めない喜多川はなぜか堂野に助けの手を伸ばすようになる。普通に生活していたならばすれ違うこともなかったかもしれない二人はそうして徐々に交流するようになっていく。

特に目立った美形でもない、普通の男である堂野。だが、周囲の人間の感性からすれば情の深い真面目な人間性が喜多川への対応でほかの収監者にはない優しさ、温かみを喜多川に感じさせていた。されたことに対して普通に「ありがとう」と言うだけのことが喜多川には変わったこと今まで貰えなかった感情の動きを与えていたのだった。堂野に感謝されると今まで味わったことのない不思議な気持ちになるという喜多川の情緒はその育ちゆえ特殊で、子供のようなものだった。それに固執していく喜多川。
懐いていく大型犬のようなうちはまだしも、その親愛の示し方はだんだんに性的な行為に移行してしまう。ただそれにさえ狭い房内では拒むことも難しく堂野も気が付くと受け入れていた。

比較的短い刑期であった堂野が出所することになり、喜多川に連絡先を残そうと思っていたが、預けるつもりだった比較的信頼の出来る同房の芝に出所後も同性の恋人として執着する喜多川を受け入れる気持ちがあるのかと言われたことで結局知らせず、喜多川の出所時も迎えに行くことをしなかった。
そして就職し結婚もした堂野は一般的な社会生活を送っていた。

出所した喜多川はやりたいことの全てが堂野と再会するその一つしかなかった。給与をすべて堂野を探す探偵会社に注ぎ込んで探し続けた。ここで喜多川を騙す側に回る探偵の話も挟み込まれてこれもなかなか面白い。
結果再会した堂野の家庭の近くで生活することになる。
母親に犬のようにただ食事を投げ込まれどうにか生き延びてきたような喜多川にとってたった一つの愛が堂野の存在だった。
娘もいて幸せな家庭を築いていた堂野の家庭を壊すようなこともなく、穏やかな交流を続けた中で事件が別の形で起こり、二人は結びつく。
喜多川が堂野に振り向ける愛の強さ、渇望の強さが満たされ、結果的にその愛に応えた堂野もまたその愛に満たされていく様が切なくて切なくて。
初めて知った人を愛すること、人に愛されるということの幸福に、不幸な生い立ちで自分が傷ついていたことさえ気が付いていなかったような男が、次第に人間味のある感情を育てて幸せなまま生涯を終えた。
淡々と進む中でも本当に読後感がよくて何度でも読み返してしまう。

余談ながら、一見優しく明るく良い性格に見えた堂野の妻が非常に身勝手で浅薄な女性であったこと。ただそれも悪女でもなくどこにでもいそうなリアリティがあること。この存在がこの物語に現実味を深めているんだなとは思う。

<24のセンチメント>23


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