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~人との距離 不器用な恋 山田ユギ『誰にも愛されない』

(ビーボーイコミックス *現在電子書籍で発行があります*
作品感想、ネタバレを含むのでご承知おきください。)

もしかしたら都内のどこかに、マイペースな日下が経営する古書店「ひぐらし堂」はあるんじゃないか。その店には単細胞だが意外に空気を読む男・飯島が通ってきて、文句を言いながらも店番をさせられている…。読んだ後そんな気がしてくるくらい、この恋物語の設定は細やかで、リアリティがある。

 一方で、こんなうまい話ないよな、と思う。不器用で孤独な魂が、無骨でまっすぐにぶつかってくる熱い手によって徐々に開かれ救われる。ないない、こんなカップル~なんて頭で分かっちゃいる。そもそも、同性同士でしかもかなりなHシーンがあるという以外は(以外っていってもね…)正統派乙女チック、恋の成就じゃないか。「おまえだけのものにしてくれ」なんてそんなセリフもありなのか。思春期にはラブコメは一切苦手だったくせに、BLならどっぷり読める自分はいったいなんなんだ。…などとさかんに自分突込みを入れつつも。

 『誰にも愛されない』は出版社の営業マンである飯島と、大学同期の日下が主人公。チェコ語の翻訳業をやっている日下に、飯島がそうと知らないで仕事の依頼をしにいき、久々に再会したところから物語が始まる。大学教授の祖父の書斎の膨大な本に囲まれて育った日下の本への思い入れ。架空の本、架空の映画、…何かモデルがあるのか具体的に語られるそれらが物語をしっかり支えてくれる。虚構を虚構として成立させるのは、出来るだけのリアリティをいかにバランスよく混ぜるか。作中の映画「ボリーフカ」を見てみたいと願い、原作本をついアマゾンで探した人も多い筈だ。

 子どもの頃から自分の感情を表に出すのが苦手で、実の母親からも何を考えているか分からない、と敬遠された主人公・日下。何も感じてないわけではない、ただ表に出せないだけ。嬉しいことも哀しいこともじっと心の中で凝らせていくような。そんな自分は人に愛されないとどこかで思っている。愛し愛されることに臆病な、まるで思春期の少女のようだ。そんな日下が居場所を見出したのは唯一本の世界だった。日下はかつての私だ、とまでは言わない。でも本を開いては繰り返しこの不器用な男が幸福に溶けるところを何度も確かめたくなるのはなぜなんだろう。

 もう一方の主人公の飯島はごくノーマル。短気で情に厚い会社員。くたびれて煙草臭い背広を着て、散らかった部屋に住み、定食屋で昼食を取る。今にも潰れてしまいそうな日下の店の佇まいも郊外のどこかしらにありそう。ただ、そんな店に若くて顔のいい店主、そこに通うかっこいい会社員達はそんじょそこらにはいない。だからといってもし地味な顔の主人公達を描かれたら夢も覚める。BLってやっぱりファンタジーなのだなあ、というのをそしてしみじみ実感する。

 『誰にも愛されない』とは(自分は人に愛される人間ではない)と思い込んでいる日下の感情を指すのだろうが、読んでみて思うのは(あんためちゃくちゃいろんな人間に愛されてるじゃないの)ってことだ。いったん自分の気持ちを認めたら同性だからと別段悩むこともない飯島の存在が、愛されることに不慣れな日下を変えていく。「どうやって誘えばいいのか分からない」と日下がおずおずと飯島に告白するシーンが愛しくてたまらない。そしてもうすぐクリスマス。子どもの頃特に祝ったことのなかった日下が飯島と二人きりの部屋で売れ残りのでかいケーキを食べている、そんな古書店が私の中には確かに存在する。

だからやっぱり山田ユギはすごいのだ。

(補足*昔、サイトで公開していたBL作品紹介文に少し手を入れて再掲します。<24のセンチメント>4)

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