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長編小説『羽毛少女と飛行船』/第三章「デルフォイ計画」/第三節 #17

第三章/第二節 に引き続きご覧いただきありがとうございます。

前回は、アランが、ダルベントのエルブルズ建設から派遣されてきた設計士シャルロットと出会うシーンでした。

彼女からデルフォイ号の開発の進捗を聞いた後、仕事終わりの待ち合わせに訪れた彼女の友人からアランはとんでもない情報を耳にしました。
それは、2日前の夜、ダルベントの街中で鳥人が目撃されたというものでした。

瞬時にルフィナの身を案じたアランは急いで家に帰り、アリサに報告します。2人はすぐさまダルベントへ向かおうとしますが、どのような移動手段を使うかで口論になり、別行動を取ることになりました。
この選択で2人はそれぞれどのような運命に導かれるのでしょうか。

『羽毛少女と飛行船』第三章/第三節
どうぞお楽しみください。

【ON AIR】

判明している相関図

 人気のない早朝のサルバト通りを、一人のせわしない足音が駆けていく。その足音は路地を曲がって、巨人接骨院の看板の前で止まった。

「叔父さん!」

 玄関の扉を開けると同時にそう叫んだのは、アリサだった。馬車でダルベントへ向かうことを選んだ彼女が、アランよりも先にフランツの家に到着したのだった。
 アリサはかなり焦っていた。というのも、乗り込んだ馬車の御者から、ダルベントで見つかった鳥人はすでに宮廷に捕われてしまったということを聞かされたからだ。

 アリサはフランツの家の階段を駆け上がり、勢いのまま居間に飛び込んだ。

「叔父さん、ルフィナが!」

 だが直後に目に映った光景に、アリサは思わず言葉を失った。

「どうしたんだ、アリサ?」

 なぜかそこに、宮廷に捕らわれたはずのルフィナがいる。羽の毛先を整えながら、平然とソファでくつろいでいるではないか。
 夢でも見ているのだろうか。アリサは自分の目を疑った。

「こんな早朝に帰ってくるとはな。もう朝ごはんは食べたのか?」

 その声はあまりにも平穏な日常のそれだった。街中で目撃されたという噂は? 宮廷の兵士に捕まったという話は? 大きな矛盾の前にアリサは立ち尽くした。

「どうして……捕まっちゃったんじゃなかったの?」

力の抜けたか細い声が、居間の空気を揺らす。

「捕まった? 私がか?」

 きょとんとするルフィナの口からは、それ以上の言葉は出てこなかった。
 つじつまの合わなさに気持ち悪さを覚える。だが、これが現実であり、真実なのだと、そう思って受け入れる以外にこの状況を飲み込む術はなかった。

「何も……なかったんだね」

荷物を床に下ろし、ルフィナのもとに近づく。

「変な噂を聞いちゃって……でも良かった、無事で」

 抱きしめたルフィナの体には、確かに温もりが宿っていた。

 やっぱり夢じゃない。

 そう思った瞬間、体の奥に溜まっていた一夜分の疲れが一気に噴き出し、アリサは吸い込まれるように目を瞑った——。

「結局、アリサが聞いた噂というのは何だったんだ?」

 目を覚ましたのは、それから二時間後のことだった。目を擦りながら体を起こすと、テーブルには淹れたての紅茶が置いてあった。

「……紅茶、ありがと。ルフィナが淹れてくれたの?」

ルフィナは照れ臭そうに頷いた。

「随分器用になったね」

アリサは微笑んで、紅茶を一口運んだ。

「……どうして、私が〝捕まった〟なんて言ったんだ?」

 ルフィナはもう一度訊いた。
 三日前、アリサがダルベントを発った後、ルフィナは彼女に余計な心配をかけまいと、ずっとこの部屋に閉じこもっていた。右腕の治療もここで行っていたから、この三日間のうちに他人に姿を見られる可能性はまずなかった。

「何かの間違いだったんだと思う」

耳元に垂れる髪をいじりながらアリサはそう言った。「昨日アランが、ルフィナが街で目撃されたらしいって噂を聞いて、その時は半信半疑だったんだけど、御者さんも同じことを言うし、しかももう捕まったなんて言うから、アタシ完全に信じちゃったの」

「アランは、その噂をどこで聞いたんだ?」

「ダルベントの人からって言ってたよ」

 ルフィナは眉をひそめた。人と接触していない以上、誰かが自分の存在を認識するとしたら、自分の関係者がその人に口外した以外に考えられない。
 自分を知っている人物を頭に浮かべてみた。「ダルベントの人から聞いた」ということであれば、情報源はダルベントにいる誰かということになる。
 ダルベントに住む人間で、自分のことを知る人物——となると、思い当たるのは一人しかいない。

 ルフィナは扉の向こうを見つめた。彼は先ほど朝食を食べ終え、今は施術室で患者の治療にあたっている——。

「まさかな……」

 ここへ来てから、彼とは最も長い時間を過ごしている。いつも親切に接してくれた彼が、今更自分を売るような真似をすると思えなかった。
 その時、不意打ちのごとく扉をノックする音が鳴った。

「ルフィナちゃん、入ってもいいかい?」

 彼の声だった。急に緊張感が高まり、普段通りの返事ができなかった。

「ん、いないのか? 入るぞ?」

 心の準備をする暇も与えず、扉は開いた。無防備なまま、ルフィナは身を構える。

「おお、いたのか。声がしないから、いないのかと思ったよ」

フランツの顔にはいつも通りの朗らかな笑顔が浮かんでいた。

「そんなに浮かない顔してどうしたんだい?」

 すぐに返事をしないルフィナを気にかけるフランツ。その柔和な表情は彼の素顔なのか、あるいは仮面なのか——。

「お、アリサちゃんも起きたか。すごい時間に帰ってきたもんだから、さすがに驚いたよ」

フランツの注意がいったんアリサに逸れる。

「ごめんね、叔父さん。結局、何かの勘違いだったみたいで、何でもなかったんだ」

アリサは恥ずかしそうに打ち明ける。

「勘違い? どういうことだい?」

「それがね——」

 図らずもフランツが自ら核心に迫ろうとし、ルフィナは固唾を飲んだ。こちらが確かめるまでもなく、アリサの話に対する反応を見れば、自ずと真実は見えてくるに違いない。


「……その話なら、さっき私も患者さんから聞いたところだよ」

 話をひとくさり聞いたフランツが開口一番に言った台詞がそれだった。
 ルフィナは訝しげにフランツを見つめる。

「しかしおかしな話だよな。ルフィナちゃんはずっとここにいたんだから。何だってそんな噂が流れるんだろう?」

 フランツの様子はいたって自然だった。怪しい素振りはない。
 彼ではない? だとしたら誰が——。
 再び考え込んだその時、もう一つ、別の可能性が頭に浮かんだ。

「……アリサ、お前が聞いた噂は、本当に〝私のこと〟だったのか?」

問われたアリサは質問の意味を測りかねた。

「え……うん。見つかったのは『鳥人』だって言ってたし、確か色も青だったよ」

その情報を皮切りに、ルフィナは表情を曇らせた。

「何か心当たりがあるの?」

 アリサが心配そうに尋ねるが、ルフィナは考え込んだまま口を開かない。
 話が見えてこず、フランツが患者から聞いた情報を付け足した。

「そう言えばその鳥人は、この辺ではなく東区の街中で見つかったと言っていたな」

それにルフィナは鋭く反応した。

「東区? それはどんなところだ? 海は近いか?」

「あ、ああ。東区は海に臨む住宅街だよ。見晴らしが良いから金持ちにも人気がある」

するとルフィナはすっくと立ち上がり、黙ったまま足を踏み出した。

「どこへ行くつもりだ、ルフィナちゃん?」

フランツが慌てて引き留める。

「宮廷だ」

そう答える目は、何かただならぬ事態が起こっていることを物語っていた。

「宮廷なんかに行ってどうする? どういう訳か聞かせてくれ」

「お前たちには関係ないことだ」

 ルフィナはいつになく強い語気で言った。
 するとフランツはルフィナの両肩をつかみ、自分の方に向けさせた。

「キミの腕はまだ治療中だ。私が治ったのを見届けるまで、勝手な行動はダメだ」

 日頃穏やかなフランツが珍しく厳しい口調になった。ルフィナはたちまち口を噤む。

「宮廷は、普通の市民は入れない特別な場所だ。ましてや鳥人のキミが行ったら大騒ぎになる。もし何かをしようとしているなら、どうするのがいいか、まずは考えることだ」

 ルフィナの体から力みが抜けていくのを感じると、フランツは彼女をゆっくりとソファに座らせ、それ以上は言わなかった。


 大きく深呼吸したルフィナは、二人を一瞥して、重い口を開いた。

「これから話すことは、絶対に誰にも言わないでほしい」

二人は黙ったまま頷いた。

「おそらくその鳥人は、私の妹だ」

それは耳を疑う一言だった。

「私と同じ青い羽の鳥人というなら、妹以外に考えられない」

ルフィナはそう言い、もう一度念押しするように、二人の顔を強い眼力で見た。

「少し前、私たちの島で、ある出来事があった。その夜は曇り空で、月明かりが少なかった。……みんなが眠りについた頃、突然、誰かが私たちの寝床に現れて、妹を連れ去ったんだ」

「……誘拐?」

アリサが小さな声で問う。

「ああ。異変に気付いた私はすぐに妹を追いかけた。犯人は、妹を足でつかんだまま島の外に飛び出して、海の向こうへ逃げようとした。私は全速力で追いかけて、そいつに力づくでつかみかかった。そこでなんとか妹は助け出せたんだが——」

そう言いかけ、ルフィナは不意に右腕を差し出した。「犯人との取っ組み合いの中で私はこの腕をやられ、そいつをつかんだまま海に落っこちた。……それで気づいたら、私はアリサたちの家にいたんだ」

 アランと共にルフィナを助けたあの夜の光景が、アリサの脳裏にまざまざと浮かんだ。
 怪我の背景を知ったフランツは、険しい表情をしながらも腹落ちした様子だった。初めてルフィナの怪我を診た時、よほど強く打ち付けなければこうはならないと、不審に思っていたからだ。

「ところでキミの妹さんは、どうして誘拐なんかに遭ったんだい?」

素朴な疑問をフランツが呈す。

「それはわからない。ただあの夜、妹は確実にあの場から逃げたはずだ。だから私はてっきり、妹は今も島で無事でいると思っていた。なのに……」

誘拐された訳も、この街で見つかった訳も、ルフィナには全く心当たりがない様子だった。

「叔父さん、宮廷に行く方法って何かないのかな?」

ルフィナの気持ちに寄り添いたいアリサが尋ねる。しかし宮廷は、領家貴族たちの住まう神聖な場所だ。無論、警備は厳重で、庶民が近づく隙などあろうはずがない。

 その時、不意に玄関の扉が閉まる音がした。
 窓からフランツが外を覗く。すると、家の前に一頭の馬がいるのに気付いた。
 フランツは窓から顔を引っ込め、二人の方を振り返った。

「レオンが帰ってきた。ルフィナちゃん、しばらくこの部屋に隠れていなさい」

 これまでフランツはルフィナのことを気遣い、息子のレオンにも彼女のことを隠し通してきた。玄関から最も遠いこの部屋を彼女の居場所にしたのも、彼が帰ってきた時に身を隠しやすいためだった。
 だが、ルフィナはここにきて思いもしないことを口にした。

「確か息子さんは宮廷で働いていたな。宮廷に入れてもらえるよう、交渉してみる」

だがフランツは当然のように難色を示した。

「ルフィナちゃん、それはちと早とちりかもしれんぞ。本当に妹さんが宮廷にいるとも限らんし、もし会えたとしても、キミの腕の面倒は誰が見る? 宮廷は別に危険なところではない。むしろそこで保護されているのなら、キミが元気になってから会いに行くのでも、遅くはないんじゃないか?」

だがその提案はルフィナにはだいぶ悠長なものに聞こえた。

「妹は大事な存在だ。これ以上知らない場所に放っておくわけにはいかない。何かあってからでは遅いんだ」

「大事なのはわかるが——」

フランツが何か言いかけたその時、扉の向こうから階段を上がる足音が聞こえた。レオンが近づいている。

「とにかく今はいったん隠れておくんだ。どうしてもあいつを頼りたいなら、後で私から伝えることもできる」

しかしルフィナは隠れる素振りを見せない。それどころか、吸い寄せられるように自ら扉の方へ向かっていく。

「おい、ルフィナちゃん!」

 フランツは慌てて止めようとしたが、ルフィナは迷うことなく扉の取っ手をつかんだ。


 扉が開いた瞬間、部屋中の空気が一気に張りつめるのをアリサは感じ取った。
 姿を現したレオンは、待ち構えていたルフィナの姿を目にした途端、身構えた。

「親父、この方は?」

どう説明したものかと頭を掻くフランツを、レオンの青い瞳がじっと見つめる。

「オレの知り得る限り、この方はこんなところにいてはいけない方と見受けられるが?」

追い打ちをかけるレオン。フランツは言葉を選びながら答えた。

「細かいことはわからんよ。この子は患者としてうちに来ただけだ。医者なら誰しも、患者の個別の事情にまでは足を踏み入れないものさ。わからないか?」

「医者の道に進まなかったオレに、今更説教でも垂れるつもりか?」

「別に深い意味はないさ。お前が今の仕事に就いているのを、私はいつだって誇りに思っている」

「話を逸らさないでくれ。……これが患者だって? いつの間に親父の店は、人間以外も治療するようになったんだ?」

「彼女も人間みたいなものさ」

 フランツは堂々と反論してみせた。白々しくもあるその態度にレオンは苛立ちを募らせたが、言われたついでにもう一度、ルフィナの容姿をまじまじと見た。

「くちばし、羽、尻尾……。これを人間と呼ぶ感性はオレにはないな。……これを見過ごせというのは少し難しいぞ、親父」

鎖帷子に描かれた宮廷の紋章がちらつき、言葉の威圧感を助長した。
 すると、対峙していたルフィナがおもむろに口を開いた。

「私と話をしろ」

初めて聞くルフィナの声に、レオンは一瞬動揺した。

「何だ、さっきまでの威勢はどこへいった? 私は見ての通り鳥人だ。こういう人種を見るのは初めてか?」

 ルフィナは健常な左腕を水平に上げ、あえてその美しい羽を広げてみせた。脇から手首にかけてびっしりと生えた無数の羽が、青と緑の鮮やかなコントラストを反射している。
 その異様な光景に、レオンの警戒心は否応なく高まった。

「私はお前に用があってここにいる」

ルフィナは左腕を下ろし、野性的な目でレオンを捉えた。

「オレに用?」

「ああ。私によく似た鳥人を見ていないか? 宮廷の者に捕らえられたと聞いた」

するとレオンはなぜか不敵な笑みを浮かべた。

「余計な噂でも立っているのか……。まぁいい。残念だが、今はその質問には答えられない。だが、もしこのオレについてくれば、何かわかるかもな」

人をたぶらかすような態度に、フランツは憤りを表した。

「おいレオン、何をするつもりだ。その子はまだ治療が終わってないんだぞ」

「いや、構わない」

ルフィナは自ら遮った。「結局これ以外に、宮廷に行ける方法はないんだろう?」

 その声には覚悟が滲んでいた。ずっと人の目を避けてきたルフィナがここまで危険を顧みずに動こうとするのはフランツも驚きだったが、言い換えれば、それくらい彼女にとって妹の存在は大きいということだった。

「それなら私も行かせてくれ。私にはこの子の怪我が治るのを見届ける義務がある」

フランツも同じ覚悟を言葉に込めた。物事を優位に転がすためには、少しでも味方が多い方がよい。

「……仕方ない、世話役として同行を認めよう。ただし、向こうではオレの言う事が絶対だ。勝手な行動は控えてくれ」

レオンはため息をつきながら言った。

「息子のお前に恥をかかせるようなことはせんよ。アリサちゃん、キミも——」

「待てよ。世話役は医者だけで十分だ。一般人まで巻き込んでもらっては困る」

「ならアタシは看護師としてついて行く」

アリサは胸を張って主張した。「それなら文句ないでしょ? お医者さんだけじゃ、手が足りないこともあるのよ」

事をややこしくするアリサにレオンが反論を突きつける。

「とてもそんな重症には見えないが? 同行者は一人で十分だ」

しかしアリサは引かない。

「あのね、この子には集中的な治療が必要なの。カルテも見ないで知ったようなこと言わないでくれる? ……まぁ、医者でないあなたが見たところで何も判らないだろうけど」

それは息子に医者を継がせられなかったフランツにも耳の痛い台詞だった。

「もういい。……勝手な行動は慎むという条件付きでなら、特別に認めてやる」

 これ以上の口論は時間の無駄だと断じ、レオンは自ら手を引いた。
 こうして話はまとまり、四人は丘の上の宮廷へ向かうことにした。


ご愛読いただきありがとうございました。
次回は第三章/第四節です。どうぞお楽しみに!

天野大地


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