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対等=神。

ゲラゲラ笑ってお酒を飲んで酔っ払ったらイチャイチャするのも冬の風物詩という感じがしますよね。

おはようございます、無事忘年会からシラフで帰宅出来ました。

さて、前置きが長くなりそうなので早速本題に触れたいと思います。

私は幼い頃から自分の事を軽くあしらう人に対して人間一回目なのかな、見る目が無いな。と思って接してきました。

なので「あなたの尊敬する人は?」の質問にしばし戸惑ったり真剣に悩んだり、困ったりしていましたし、当然人様の事を崇めたりする事はありませんでした。(固有名詞としての様呼びはありましたが)

未だに様、と呼べる相手は残念ながら居ません。

何故かと言うと簡単に尊敬に値しないのです。

尊敬に値しないという事はなぜか私の恋愛対象にも入りませんでした。

当時はそこまで意識していませんでしたが、近年様々なセクシャルマイノリティが認められつつある世の中で、疑問に思ったので調べてみました。

その所、私はサピオセクシャルという事が判明したのです。

"サピオセクシャル"とは
相手の知性に魅力を感じるセクシュアリティがサピオセクシャルです。
https://jobrainbow.jp/magazine/sapio

出典元を読むと、恋愛的な魅力を感じる相手だとサピオロマンティックになるそうです。

簡単に言うと知性に性的魅力を感じるセクシャルマイノリティがサピオセクシャル、愛するマイノリティがサピオロマンティックというセクシャルマイノリティになるそうです。

あまりにも受け入れ難い事実ではあったけれど、何となく今までの恋愛遍歴に納得出来ました。

この人と付き合いたいな、いいな。と思う事はありますが性欲が湧くことが一切無いのです。

どれだけ隣に寝ていても、愛する事が出来ても結婚したいと思っても自主的に性欲が湧かず、ただのマンネリ化&レスだと思っていました。

しかし相手から求められれば応じていましたし、不潔で無い限りは嫌悪感は抱きませんでした。

ですが私から誘う事はほぼ0に近しいので、だんだん相手にも申し訳なさが勝っていたのです。

そして別れる理由もそれに不随して統一しています。

女の恋愛はよく加点式といいますが私の場合、減点式である事をとある本から学びました。

例に出すと気になる人やお付き合いしている方と仮にファミレスデートをするとするじゃないですか。

大体の全国チェーン店のファミレスはドリンクバーにてお水をセルフで提供する場所が多いと思うのですが、「お水を取ってくるね」の一言が無い異性には減点してしまいます。

そこまで気が回らない相手といる価値がないなとまずマイナス五点。

何頼む?と言いつつメニューを自分の方にしか向けずにこちらに見せてくれないだけで更にマイナス十点。

という我ながらドン引くレベルの減点方式なのです。

自分の常識は他人の非常識という言葉が好きですが、それでも思いやりは大切だと個人的に感じていてそれらの事が出来ない彼らを見て一瞬で冷めてしまうのですね。

もちろん彼らが悪いだけではありません。
職業柄なのか実母からの教えかは忘れてしまいましたが、相手にもメニューを見える様にする事がせめてもの気遣いだと私は思って生きてきました。

ここまで書いていて相容れない読者様もいらっしゃると思います。
相手の事が好きならそんなの関係無い!なんでもいいや!ってね。

そこを否定するつもりはもちろんありませんが私には向いていないなあと実感してしまいました。

ここで冒頭の対等=神というタイトルに漸く繋がります。

フォロワーが多いことをインフルエンサーと呼ぶ社会になった今、フォロワーが多い方とお話する機会も多々あるのです。

ですがそういった方には必ずしも無償でプレゼントしたり、ご飯を奢ったり、投げ銭をしたりするファンや信者がいる訳じゃないですか。

もちろんそれはそれで立派なブランディングと日々の努力、己のプライベートを曝け出すという危なっかしさ、そして最終的には転生の才能だと思うんです。

妬みやっかみはありませんが私はそういった方々の事を崇拝出来ません。

何故ならば私も同じようなブランディングでコントロールする事が可能だからです。

そういった方と遊んで尚、お互い対等な関係で居られるなと思うのです。

自分がその方の事を崇めたり貢いだりガチ恋になったりしたらもうそれは対等では無いんですね。

明らかに格下の存在になる訳です。

でも私は断固として崇拝したくありません。
理由は語りませんが私が崇拝される側の人間であり、当たり前に崇拝されるに等しいと信じているから。

そりゃあ当然その場を丸く収めたい時は多少舐められていても我慢しますよ。ですがそれも性にあわず、結局長く続かないので短期でフェードアウトします。

そんな神に出会えるのは近年稀なので大切に接したいと思いますし、末永く仲良くいて欲しいなと思います。

神、いっぱい討論したり質問したりしましょう。

あなたとお話している時が水を得た魚の様に私は活き活きと出来るのですから。

来年もよろしくお願いします。

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