日々是迷走

20年以上勤めた会社を『やりたい事ができない』という理由で辞めた人。 ところが『やりた…

日々是迷走

20年以上勤めた会社を『やりたい事ができない』という理由で辞めた人。 ところが『やりたい事』がブレてきて、当初の目標と予定はどこに行ったのやら? 何処から来たのかは明確だけど、何処に向かうのかは全く見えません。 趣味は料理、クルマ、旅行(北海道・ハワイ島)。

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    今はほぼ自炊の人。以前はしばしば食べ歩きも。 食べることや料理することの中で思ったことを、できれば短文で綴れたらよいなぁ……と。

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記事一覧

ポトフではない、ポテなのだ

基本的に牛肉を使ったものを“ポトフ”、豚肉を使ったものは“ポテ”となるようです。 今回は千葉県香取市にある「恋する豚研究所」で購入した豚肩ロース塊肉と国産豚スペ…

スカロッピる

牛薄切り肉に小麦粉をはたいてソテーする料理をイタリア語でスカロピーネもしくはスカロッピーネと呼びます。 今回は焼きトマトの上にバルサミコ酢と蜂蜜で甘酸っぱく仕上…

ハリッサとラブパクと

1年以上放置しておいて、しれっと再開することにしました。 秋になって和の食材が充実してきたのは嬉しいのですが、たまには“濃い”料理も食べたくなるのが人情ってもん…

2

始めてみましょう

パンデミックが始まってからの2年半で、僕がメインの居場所にしているTwitterの居心地が極めて悪くなりました。 さらにTwitter社が買収されたことにより、倫理面のチェッ…

1

とある記事とその感想の呟きを目にして違和感を感じた。

「こうでないとおかしい」
「これが当たり前の世界が正しい」

本当だろうか?

〝(今は)そうは思えない〟ひとたちを否定するかのような論調を数多くRTすることに疑問を感じた朝だった。

「バランス」とか「塩梅」は〝どっちつかず〟のイメージから良くないことのように受け取られる時代なのかなと思う。

0か100か?
善か悪か?
賛成か反対か?
………………

以前は「日本人は極論に走りやすい国民性」なのだと思っていた時期もあったけど、どうも人類の習性らしいね。

1

自分の安心のために他人を殴ることが正しいと考える人が存在するだけで鬱々とした気持ちになる。

2

内外を問わず世界中で足らないもののひとつが『尊重』なのではないかと思った。
(なんか見た)

多様性を謳いながら自説を強要する人がネット上にはなんと多いことか。

「多様性を主張する」ことも自説の強要になるのではないか?
と訝しがりながら、淡々と師走は過ぎ去っていくのだろう。

1

数日前、生命保険の件で相談を受けた。
保険料の滞納があることが判明したが保険金が支払われるか?というもの。
結果、自動振替貸付や猶予期間のおかげでOKだったのでひと安心。
『保険なんて無駄❗️』と声高に叫ぶ人は少なくないが、死後の整理資金くらい無いと見送る人に負担がかかるんだよ。

2

方言はあるものの基本的に単一言語であり、なおかつ文盲率も極めて低いことが『伝達力』や『理解力』にマイナスの作用をしてきたのではないかというのが持論。
「伝わったはず」「理解したつもり」の積み重ねが乖離を大きくし、判断の遅延を招く。
文化の伝承にもかかわる問題だと認識している。

2

ごく普通の人たちの多くが経験してくることをいくつも経験しないままに過ごしてきた人生だったなと最近思う。
いつだって僕は気がつくのが他人より遅い。
「何を始めるにしても遅いことなんてない」と言われるがそれは嘘だ。
時間や若さがなければ出来ないこともある。
60点くらいの人生かも。

2

叔母を連れて1年以上ぶりにお墓参りに行ってきた。
近くのいくつかのお墓にもまだ供えたばかりらしいお花があった。
緊急事態宣言が解かれて、お参りに来る人も増えたのだろう。
またひとつ、以前の生活と同じことができるようになった。

でも油断はしない。

1

今さらながら尊敬語、丁寧語、謙譲語など文章表現が多岐にわたる日本語は、140字に詰め込もうとするSNSとつくづく相性が悪いと思う。
語尾ひとつで気持ちが滲み出てしまうのは、他言語ではあまり見ない長所であると同時にコンパクトにまとめる難しさがある。
略語が多いのもわかる気がする。

若い頃はあまり好きではなかった柿を最近美味しいと思うようになった。
あのぼんやりとした甘さが苦手だったのだが、砂糖でもなく海外の果物でもない甘さがしっくりくるようになった。
明日、買いに行こう。

1

選挙や感染症といった多くの人が自説を主張する場面では、あきらかに「見ている景色が違うな」と思うことがある。
正しいとか正しくないということではなく、善なのか悪なのかということでもない。
ただ、そういう人も自分と同じように日々を過ごしているのが社会なのだと確認する機会ではある。

言動に注目しているクリエイティブな職業の人たちのほぼすべてが現政権に批判的なのはなかなか面白い。
と同時に『クリエイター=現状打破』的なステレオタイプに自分が毒されてるなとも思う。
仮に政権交代してもあの人たちは時の権力に反発し続けるのかもな。
違いを確認する投票日。

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ポトフではない、ポテなのだ

ポトフではない、ポテなのだ

基本的に牛肉を使ったものを“ポトフ”、豚肉を使ったものは“ポテ”となるようです。
今回は千葉県香取市にある「恋する豚研究所」で購入した豚肩ロース塊肉と国産豚スペアリブを使ったので“ポテ”です。

ポイントはキャベツの芯、にんじん・蕪・たまねぎの皮と白胡椒(ホール)、クローブ、ローリエを煮込んで取ったブイヨン。
玉ねぎの皮はきれいな黄金色のスープを生み出します。
クローブの入れすぎは香りが甘くなりす

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スカロッピる

スカロッピる

牛薄切り肉に小麦粉をはたいてソテーする料理をイタリア語でスカロピーネもしくはスカロッピーネと呼びます。
今回は焼きトマトの上にバルサミコ酢と蜂蜜で甘酸っぱく仕上げた牛肉をトッピング。
グラナ・パダーノ(チーズ)をたっぷり削り、イタリアンパセリを散らしていただきました。

黒いお皿に盛ったのは失敗でしたね💦
バルサミコでより黒みを帯びた牛肉が皿の色に埋もれてしまって全く映えませんでした。
味は良い

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ハリッサとラブパクと

ハリッサとラブパクと

1年以上放置しておいて、しれっと再開することにしました。

秋になって和の食材が充実してきたのは嬉しいのですが、たまには“濃い”料理も食べたくなるのが人情ってもんですなぁ(迷走)

先日ひさしぶりにKALDIに行ったら「ハリッサ おひとりさま2瓶まで」とあったので購入してきました。(限定品弱者)
で、最近出演の多いラム肩肉切り落としとクスクスで地中海風“濃い”味のプレートを。
サラダにはこれまた“

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始めてみましょう

始めてみましょう

パンデミックが始まってからの2年半で、僕がメインの居場所にしているTwitterの居心地が極めて悪くなりました。
さらにTwitter社が買収されたことにより、倫理面のチェック機能も低下する可能性は否定できません。
趣味である料理や食べ歩きに利用しているInstagramも、Meta社(旧Facebook社)の傘下に入ってから収益改善のためか怪しげな投資・コンサル・ギャンブルの広告が爆増。
オスス

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とある記事とその感想の呟きを目にして違和感を感じた。

「こうでないとおかしい」
「これが当たり前の世界が正しい」

本当だろうか?

〝(今は)そうは思えない〟ひとたちを否定するかのような論調を数多くRTすることに疑問を感じた朝だった。

「バランス」とか「塩梅」は〝どっちつかず〟のイメージから良くないことのように受け取られる時代なのかなと思う。

0か100か?
善か悪か?
賛成か反対か?
………………

以前は「日本人は極論に走りやすい国民性」なのだと思っていた時期もあったけど、どうも人類の習性らしいね。

自分の安心のために他人を殴ることが正しいと考える人が存在するだけで鬱々とした気持ちになる。

内外を問わず世界中で足らないもののひとつが『尊重』なのではないかと思った。
(なんか見た)

多様性を謳いながら自説を強要する人がネット上にはなんと多いことか。

「多様性を主張する」ことも自説の強要になるのではないか?
と訝しがりながら、淡々と師走は過ぎ去っていくのだろう。

数日前、生命保険の件で相談を受けた。
保険料の滞納があることが判明したが保険金が支払われるか?というもの。
結果、自動振替貸付や猶予期間のおかげでOKだったのでひと安心。
『保険なんて無駄❗️』と声高に叫ぶ人は少なくないが、死後の整理資金くらい無いと見送る人に負担がかかるんだよ。

方言はあるものの基本的に単一言語であり、なおかつ文盲率も極めて低いことが『伝達力』や『理解力』にマイナスの作用をしてきたのではないかというのが持論。
「伝わったはず」「理解したつもり」の積み重ねが乖離を大きくし、判断の遅延を招く。
文化の伝承にもかかわる問題だと認識している。

ごく普通の人たちの多くが経験してくることをいくつも経験しないままに過ごしてきた人生だったなと最近思う。
いつだって僕は気がつくのが他人より遅い。
「何を始めるにしても遅いことなんてない」と言われるがそれは嘘だ。
時間や若さがなければ出来ないこともある。
60点くらいの人生かも。

叔母を連れて1年以上ぶりにお墓参りに行ってきた。
近くのいくつかのお墓にもまだ供えたばかりらしいお花があった。
緊急事態宣言が解かれて、お参りに来る人も増えたのだろう。
またひとつ、以前の生活と同じことができるようになった。

でも油断はしない。

今さらながら尊敬語、丁寧語、謙譲語など文章表現が多岐にわたる日本語は、140字に詰め込もうとするSNSとつくづく相性が悪いと思う。
語尾ひとつで気持ちが滲み出てしまうのは、他言語ではあまり見ない長所であると同時にコンパクトにまとめる難しさがある。
略語が多いのもわかる気がする。

若い頃はあまり好きではなかった柿を最近美味しいと思うようになった。
あのぼんやりとした甘さが苦手だったのだが、砂糖でもなく海外の果物でもない甘さがしっくりくるようになった。
明日、買いに行こう。

選挙や感染症といった多くの人が自説を主張する場面では、あきらかに「見ている景色が違うな」と思うことがある。
正しいとか正しくないということではなく、善なのか悪なのかということでもない。
ただ、そういう人も自分と同じように日々を過ごしているのが社会なのだと確認する機会ではある。

言動に注目しているクリエイティブな職業の人たちのほぼすべてが現政権に批判的なのはなかなか面白い。
と同時に『クリエイター=現状打破』的なステレオタイプに自分が毒されてるなとも思う。
仮に政権交代してもあの人たちは時の権力に反発し続けるのかもな。
違いを確認する投票日。