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「似ている男」

よく行くバーの店員が、“あの人”に似ていた。
背格好も、来ている洋服の雰囲気も。
愛想がいいわりに目を合わさないところや、人にあまり興味がなさそうなところまで。

その日は客が私だけだった。
外から人がいない店内を見た瞬間引き返そうかと思ったが、カウンターに立っていた彼と目が合ってしまう。

「いらっしゃいませ」
「あぁ、うん」

帰ろうとしていたズルさを隠すように勢いよくドアを開けると、いつもの席まで迷わず進みカウンターに腰を下ろした。
よりによって今日は彼の日だった。私を迎え入れるその笑顔は相変わらず嘘っぽく、その全てに“あの人”を重ねている自分に嫌気がさす。

「今日はお一人ですか?」
「うん、ちょっと一杯だけ」

店内には彼一人だけのようだった。
彼のことは嫌いじゃないが、なんとなく居心地が悪い。悪いやつでは決して無いのだが、なんとなく、私が落ち着かないのだ。その理由が“あの人”に似ているからなんて、彼からすればとんだとばっちりだ。
そうともなれば、私は最初から一杯だけのつもりで来た設定に切り替え、さっさと帰ろうと決め込んだ。

「そっちは? 今日はあんただけ?」
「あぁ、今日は店長休みなんですよ。遅番であと一人来ますけど、この時間は自分だけですね」

タイミングの悪い日に来てしまったな。
彼のことはずっと前から知っていたが、こうして二人でちゃんと顔を合わせて話すのは初めてかもしれない。
最初見た時は驚いた。“あの人”がそこにいるんじゃないかと、飛び出しかけた心臓をぐっと飲み込んだ。
それほどまでに、彼は“あの人”に似ていた。
私の、昔惚れてしまった“あの人”に。

「なに飲みます?」
「ビールで。あんたも飲むでしょ?」
「いいんですか? いただきます」

オープン直後。静かな店内で、洗浄したてのサーバーから勢いよくビールが注がれていく。
天井のライトがグラスに反射し、黄金色がキラキラと輝いた。私はただ、その様子を黙って見つめるしかなかった。
彼と話すことがない。というのは少々語弊があるが、普段ここで飲んでいる時のように、中身のない会話を流れのままに吐き出すようなモードになれない。他の客やスタッフがいればまた別なのに。こうして二人きりで対峙するとなると、どうも感覚が狂う。この店で築き上げた私というキャラを、呼び起こせる気がしないのだ。

「はい、お待たせいたしました。僕までありがとうございます」
「はいよ、おはよう乾杯」
「いただきます」

乾杯をする時、いやらしいほどグラスを下げるそれを見て、私は内心舌打ちをした。
客にご馳走になった店員という関係なのだから、傍から見ればなんの違和感もないだろう。けれど私の中では彼に対し「お前は“あの人”だろうが!」という無茶苦茶な決めつけができていたから。“あの人”が私と乾杯する時に、わざと、いやらしくグラスを低く下げ、私を持ち上げて愉快そうに「乾杯」という顔が想像できてしまうから。憎たらしいほど。ほんと、むかつく。

「…あれ、あんたってお酒強いんだっけ?」
「人並みだと思いますけど、仕事ができる程度には」
「ふーん…」

一杯飲むにも間が持たない。私から出る当たり障りない会話は、自分の核心に触れないように。そんな事を感じる度に気が重くなる。

“あの人”とは、何もなかった。少し離れたところから眺め続ける恋だった。想いを言葉になんてしなかった。それは相手も同じ。それでも私たちは惹かれあっていたし、同時に、願っても叶うことのない恋だった。
このまま二人で逃亡でもしてくれるかと思った日、ドアですれ違ったあの人は私を抱き寄せキスをした。そして、そのキスが私たちの始まりでないことは、何となくわかった。込み上げる嬉しさと同時に、自然と涙が溢れた。彼の顔面が私を覆った次の瞬間、いつも見ていたその唇の感触を知った。ほんの数秒が、永遠のように感じた。呆然とする私は目を閉じる間もなく、あの優しい目には私が映っていた。彼は振り返りざまに一度だけ私の肩を撫でると「倫子さんは幸せでいて」と、そう言った。そして、そのまま跡形もなく消え去った。
手を触れてない、愛の言葉を交わしていない。事故のような最後のキスと、身勝手に与えられた言葉が呪縛となり、私は今もここにいる。
聞きたいことも、ぶつけたい気持ちも山ほどある。彼が“あの人”ではないと解っても、一秒ごとに移り変わるその表情を無視できない。でもそれは、私の未練が見せる幻覚で、繰り返す理性が毎秒現実を突きつける。

そろそろグラスが空きそうな頃、珍しく店員の彼から口を開いた。

「あの、倫子さんって僕のこと嫌ってますよね?」
「え? 私が?」
「はい。なんかそんな気がして」

やはり態度に出ていたらしい。でもそれは嫌いなのではなく、もし嫌いなんだとしたら君を嫌いなのではなく、全ては“あの人”のせいで。君自身には何も。私が嫌いなのは、あいつだから。

「全然。いや、違うの。あんたのこと嫌いなわけじゃないのよ。じゃなくって、あんたにすごく似てる人がいて。顔見る度その人を重ねちゃうんだよね。なんかごめんね」
「あぁ、なるほど。でも僕似てる人がいるってあんまり言われないんで、なんか嬉しいです」
「はぁ? 嫌いだって言ってるのに?」
「まぁ、なんでもないよりは」

彼の素っ頓狂な回答に、思わず吹き出してしまった。
変なやつ。うっかり和んでしまった空気におかわりを頼もうか迷ったが、このまま帰るべきだと思い直し会計を頼んだ。
彼との楽しい時間を過ごした後の自分を想像し、“あの人”が色濃くなることを恐れたのだ。

「ちょっとトイレ」
「はい」

会計を頼んでる間に、トイレを済ませてしまおうと思った。個室に入り便器に腰を下ろすと、なんだかわからない疲労感がズッシリと全身を襲った。俯いたまま何か考えたいようで、何も思いつかない。けどその背後ではうっすらと“あの人”が見つめている。なんだか今日はだめだ。心が荒れている。こんな日は余計なことしかしない。翌日に後悔する自分が目に浮かぶ。狭い個室にぶら下がる電球を見つめながら、二件目は行かず帰ろうと心に決めた。

トイレを出た共有の洗面台で手を洗っている時だった。化粧崩れを確認しようと鏡を覗くと、薄暗い背後に店員の彼が立っていた。

「びっくりした。何してんの?」
「実は僕もトイレ我慢してて、男の方行ってました」
「なんだよ…あんた気配消すよね。やめてよもう」

人が待っているとわかった以上のんびりなんてしてられない。手を覆っていた泡を一気に洗い落とした。

「はい、次どう…」
「僕、倫子さんのこと気になってます」

は?
置いていたハンカチに伸ばしかけた指先が固まる。
鏡越し、彼の視線がまっすぐこちらに向いてる気配がわかる。
なぜか最後に見たあの人の姿が頭を過り、心がずん、と重くなった。

「前からずっと。誰にでも言ってるわけじゃありませんから」

出しっぱなしのまま流され続ける水。
彼が私に近付き蛇口を閉めると、その場は一層静寂に包まれた。

「…まじで言ってんの?」
「はい。嘘は言いません」
「なんで? だって全然絡んだことないじゃん」
「でも見てましたから」

あの人によく似た男が、私の知らないところで、私を想っていた。
これは神のいたずらか。もしくは、あの人のお詫びなんだとしたら、ほんとバカげてる。
何だか急にどうでもよくなった。自分の愚かな恋心も、復讐心さえ感じる、この愛も。

「セックスする?」
「え」
「まだ人来ないんでしょ? ちょうどヤりたい気分だったし」
「そういうつもりで言ってないです」
「あたしがそういうつもりだって言ってんのよ。抱けないの?」
「…むしろ我慢してます」

彼はそう言うと、背後から勢いよく抱きしめてきた。私の髪に顔を埋めるその表情が悲しいほどあの人なのに、触れれば触れるほどその違いを拒絶する身体が憎い。

「倫子さん…」
「黙って」
「倫子さん好きです」
「黙ってってば!黙って抱いてよ…」
「…わかりました」

洗面台にもたれ掛かり、鏡に映らないよう顔を背けて彼を受け入れた。何をしているんだろう。こんなことしてもなんの意味もないのに。頼むから私を見ないでほしい。彼に似たその目で、哀れむように見ないでよ。

ずるりと引き抜いたペニスから、精液がポタリ、ポタリと垂れ落ちる。黒い床に飛び散ったそれは大きな違いなどないはずなのに、少しも彼を重ねられない。
そういう恋だった。幻だったらよかった。

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