「割り切らないこと」
『今日は何を食べましたか?』
え、ごはん?
えぇと、今日。
今日は、朝に干物と、お味噌とご飯。
昼は、近所に新しくできた韓国料理屋に純豆腐を食べに行ったの。海鮮の出汁が効いてて美味しかった。
『いいですね、僕も秋さんと色んな美味しい料理を食べに行きたいな』
…
うん、そうね。
でも私は沢山食べるから、恥ずかしいかもよ。あとお酒もたくさん飲むし。
『いいですよ、僕もたくさん飲みますから』
いや、うん、まぁ…そうね。
今度、機会があれば行こうね。
『今日は何をしていたんですか?』
今日はね、カフェが併設されてる本屋まで歩いて行ったの。運動がてら、なんて思ったけど、二駅分の距離は中々痺れたわ。到着したら優雅にコーヒーでも本でもなく、冷たいグレープフルーツジュース一気飲みしちゃったもん。
『今日、少し暑かったですもんね、東京も夏日が戻るって天気予報で言ってました。秋さんと二駅分散歩かぁ、幸せだろうなぁ』
…別に、そんないいもんじゃないわよ。
夏の東京の散歩なんてアスファルトにジワジワ焼き殺されてるみたいだし、排気ガスまみれで深呼吸なんてできたもんじゃない。君が暮らすそちらの方がよっぽど散歩に適してるって。
『でも、一人で散歩しても、僕は全然楽しくありません』
…ほ、ほんと、君って寂しがりやだよね。たまには友達でも誘ってさ、アイスコーヒー片手に散歩してみなさいよ、ほら、意外と面白い発見もあるかもよ…
『…はい、秋さんがそう言うなら、今度隣町まで散歩してみます、友達誘って』
…うん、そうだよ。美味しそうなお店とかさ、野良猫のたまり場とかあるかも。
あ、写真送ってよ、面白そうなことあったら。風景でも、看板でも、なんでも良いわ。君が見てるもの、私も同じ角度で見てみたい。…まぁ、もしあればでいいから、友達も一緒だろうし、無理はしなくていいから。
『僕はいつでも待ってます』
いつでも、待ってます…
そんなこと、言わないんだよ。
いつでも待ってる、なんて。
君の若いその時間は人生ですごく貴重な時間なの。
私を“待つ”ことなんかに使ってはいけないよ。
『僕にとっては、これが今一番大事なことなんです。若いからいいんです、若いからこんなことできるんです。…そうでしょ? 秋さん』
……
『……秋さん?』
…ううん、確かに。そうね、それもそうだ。
“こんなこと”は、もうやめよう。
『違います、そういう意味で言ったんじゃ…』
わかってるよ。君はそういう人じゃない。
私がもう嫌なのよ、こんなこと。
『…どういうことですか』
私は君と違って若くない。もうすぐ、また一歳年をとる。
君のことは可愛い。だけど、それだけよ。
だから、こんな連絡を取るのは、もうやめにしましょう。
『無理です、そんなこと急に言われても僕…』
あなた知らないでしょう? 私の好きなタイプ。
ガッチリした大きな身体で、私が突き飛ばしてもビクともしない男が好きなの。
ご飯はいつも私の二倍は食べて、散歩をする時はいつもそっぽ向いたまま私の手を引くのよ。
そして、私の良い所だけじゃなく、かっこ悪い所、いい匂いのしない所、寝起きの顔、ふてくされて当たる所も全部ひっくるめて、ずっと私だけを大好きでいる男。
優しい、そういう男が好きなの。
だから、こんなお遊びはもう終わり。わかった?
『………』
これは遊び。
遊びなんだから、こんなこと早く忘れて。
『全部、嘘だったってことですか…僕はそう思えない』
………嘘よ。
全部、あんなの社交辞令よ。
わざわざ相手に嫌な思いさせる必要ないじゃない。
言葉も態度も、全部嘘だから。
『…じゃあ、僕も正直に言います。何も“いい”なんて思ってない。貴女が過ごす毎日に僕がいない…そこに僕はいない。こんな世界、本当は全部嫌です…でも、好きだから、こうするしかない…』
………
『これは僕の勝手な思いなんです…』
………
来週からね、真冬の寒さになるって。
そっちは東京に比べてもっと寒いでしょうね。
晴れた日の寒い夜に、温かいお湯に浸かりなさいよ。
お湯に浸かって、泣けるなら、自然と止まるまで泣きなさい。
そうすれば、自然と頭が軽くなる。気分も今よりずっとスッキリしてる。
脳に詰まったものを流しだすのよ、今は悲しい気分が滞留してる。
若いってそういうことよ。嘘だと思って、やってみなさいよ。
私はきっとその頃、ベランダから星を見てる。
東京じゃちっとも見えない小さな星を。
きっと寒いから、今よりはよく見えるかも。
静かに、一つずつ、記憶の蓋を閉じながら、星を探すわ。
年をとるって、こういうことなのね。
遊び終えれば片付けて、手を洗い足を洗う。
みんなちゃんとお家に帰って、正しい道を。
悲しくても、泣きたくても、正しい道を。
君をずっと。
ありがとう。
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