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「ダイヤのピアス」

閉店後の店内。ボリュームが絞られたBGM。ボックス席のライトは消され、私とマスターがいるカウンター席だけが明るく照らされた。
ワイシャツの袖を捲くり洗い物を片付けるマスター。あんなに忙しかったのに、ジェルで固められた髪型は少しも崩れず、隙を見せない穏やかな表情からは、少しも疲れを感じさせない。その様子を眺めながら、私は少しばかり不貞腐れていた。

営業中、カウンターの端に一人で来ていた女性客。一見地味なように見えるが、控えめに身につけたアクセサリーは洗練されていて、下ろし立てのように美しい黒い革のハンドバッグは、奥で見つめる私に光って見せた。
彼女が店に入って来ると、その存在に気づいたマスターはすぐさま反応し、それに応えるように彼女の表情は綻んだ。二人の会話は聞き取れないものの、その親しげな雰囲気から、彼女が肩にかけているカーディガンを優しく剥ぎ取るマスターの姿まで想像できた。これが私の行き過ぎた嫉妬だとしても、女の勘は僅かなにおいさえも嗅ぎ分ける事実が確信を促す。
彼女は一時間ほど居て、私が見たことの無いカクテルを二杯飲むと、マスターに小さく手を振り帰っていった。その何気ない一部始終を目の当たりにし、私は不貞腐れている。

「どこかでご飯食べてく?」

片付けを終えたマスターが、カウンターで頬杖をつく私に話しかけた。五十を過ぎた彼は日に日に色気を増し、“若い頃はイケメンだった”と言う常連たちのセンスを疑う。

「……食べたくない」

目を合わせたまま無表情で答える私を見て、不機嫌に気づいたマスターは優しく微笑んだ。

「…そういえばお客さんからお土産で焼き鳥もらったんだ。美味しいって有名だよ。うちで一緒に食べよう、ビールもあるよ」

私の僅かな抵抗は、まさに小さな子供の我儘の如く宥められた。マスターからすれば、小娘が抱く不機嫌の一つや二つ、どうってことないのだろう。

「マスター…」
「もう営業中じゃないから、名前でいいよ」
「…タカさん、こっち来て」

タカさん。初めて抱かれた時、明け方のベッドで教えてもらった名前。彼は店で客から“マスター”と呼ばれ、その名を知っている人は少ない。私はあの日から、彼のこの名前をお守りのように大事にしている。憧れた人の名。抱かれる時その名前を口にできる喜びで、私の身体は絶頂を迎えるほど。

「来ましたよ、お嬢さん」

裏から出てきたマスターは、私が座っていたカウンターチェアを回転させると、向かい合って顔を覗き込んだ。間近で見るマスターの顔の造形は、どこをとっても私も魅了する。きっちりと着こなすスーツは彼によく似合い、左耳につけた存在感のあるダイヤのピアスが、女たちの性欲を刺激する。

「…今日一人で来てた人、二人すごくお似合いだった」

だから何だ。自分で自分に呆れ返る。言いたいことと、言わなくて良いこと。正しく考えられぬまま、私は意味のない言葉を絞り出した。

「…そうかな」

タカさんはそう言うと、カウンターチェアの足元へと姿を消した。固唾を飲んで見下ろす私の片足からヒールを脱がせたと思った次の瞬間、露わになったその足先へ、ゆっくりと口づけた。
彼の唇が、私の足を優しく押し潰す。涼しげに見える目元。左耳でいやらしく光るピアス。生温かい舌が這う頃には、堪えていた息が漏れた。

「…もしこの姿が僕に似合ってないと言われても、僕は君とこうしていたい。年甲斐もなく、僕は君に夢中だよ」

見上げるタカさんの目が優しくて、私は思わず手を伸ばしキスをせがんだ。

“たかちゃん、またね”

帰り際、あの女性の口元は、確かにそう言っていた。
タカさんの甘ったるい香りに包まれ、もっと深く酔えるようにきつく目を閉じた。

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