noteを使う言い訳

 言い訳は2つある。まず1つ目の言い訳は、僕が”ちゃんとした”文章を書くことに慣れるためだ。同時に、Twitterじゃだめな理由も説明しよう。

 僕の中での「ちゃんとした文章」ってのは、木下是雄の著書『理科系の作文技術』に書いてあるようなことをしっかりと守れた文章のことだ。この本では主に論文を書くために必要な技術や知っておくべき約束などが、隙を突く余地もないほどにびっちりと書き込まれている。

 本著を読んだ方からしたら「じゃぁ口語で書くなボケ」と罵られそうだが、そこはどうか勘弁してほしい。なぜ口語を使うのか、それは口語は頭の中で再生するときに聴き疲れないからだ。明確な目的もなく、このような下らない長文を読むなら、文語より口語の方が良いと僕は思う。

  僕が文章を書く上で特に気を付けたいことは「主語述語のねじれがないか」「誤解を生まないような文章になっているか」「内容がすっと頭に入ってくるか」などである。

 僕は頭の中で話している言葉をTwitterにそのまま打ち込むから、正直話のまとまりとか文章同士の関係とかそういうのがあんまりない。こういう句読点とかも打たないしね。

 ちゃんとしたレポートやら論文やらって、著者とその周辺の人々らがものすごい時間をかけて添削・推敲をする文章で書かれているから、読みやすいしすっと頭に入ってくる。

 noteで書く文章をわざわざ他人に添削してもらおうなんて一切思っていないけど、とりあえず『理科系の作文技術』で読んだ内容を思い出しながら、文を書く練習をしていこうと思う。

 2つ目の言い訳は、長文をTwitterに書かないためだ。

 そもそもTwitterには2021年現在で140字という文字数制限がある。ここからも長文を書くのにTwitterが向いていないことは一目瞭然である。それに他のフォロワーなんかにも迷惑かもしれない。

 しかもTwitterは新しいツイートがどんどん上に乗せられていくので、連ツイートをしない限りとても読めたものではないぶつぶつの長文になる。こんなもの相当な物好きしか読まない。まぁnoteも物好きしか読まないか!

 みたいな言い訳をしてnoteを始めようと思う。ここはもはや備忘録的存在になるかもしれないが、どうか生暖かい目で観ていて欲しい。

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