E.T.歌巫女☆通信 15.帰天サポート、声でヒーリング


『光の宇宙樹の歌』

14.「光の宇宙樹の歌」は、慈悲の実践でもあった


❇本稿は、著者の体験をもとに書いた「物語」です。


「光の宇宙樹の歌」を歌うことによるワクワク体験が一段落したころ、私は久しぶりに、デパートの販売員の仕事をすることになった。といっても、今度は衣料品売り場ではなく、地下食品売り場。なぜその会社にだけ採用されたのか?は、働き始めて数日で判明した。

実はそのデパートは、米軍病院跡地に建てられており、地下は遺体安置所だったのだ。特にベトナム戦争で戦死した兵士たちが、本国に移送されるまでの間、ここに留め置かれていたらしい。

そんなある日のこと、立って販売中、私は凄まじい冷気の渦に取り巻かれ、金縛り状態になってしまった。そのうえ突然、向かいの売り場の照明が激しく点滅。驚いた女性たちの悲鳴まで上がったため、心の中で尋ねてみた。
「もしかしてあなた方は、ベトナム戦争で戦死なさったアメリカ兵さんたちですか?」
するとお返事のように、正面売り場の照明が、またしても激しく点滅。
「わかりました。そうなんですね。ご遺体はもうとっくに本国へ戻られたのに、あなた方は天国へ戻れないでいたんですね。私にお手伝いさせていただけることがあるのでしたら、テレパシーで私の心に直接伝えてください」
そう心の中で語りかけると、点滅は止まり、『アメイジング・グレイス』のメロディーが伝わってきた。
「わかりました。近日中に『アメイジング・グレイス』を歌わせていただきます。ですから今日のところは、私を解放してください」
そう伝えると、冷気の渦は消え、金縛りも解けたのだった。

すると次の日、驚くようなシンクロニシティが起こった。テレビで、『アメイジング・グレイス』に関するドキュメンタリーが放送されたのだ。それによると、この曲はベトナム戦争時代、反戦歌の一つとしてアメリカで歌われていたというのである。

翌日、私は残業を申し出ることにした。他の販売員が全員いなくなってから、こっそり歌おうとしたのだ。
ところが、である。いざ歌おうとしたタイミングで、警備員に見つかってしまい、デパート側のフロア責任者から詰問責めに。結局、辞職せざるをえなくなってしまったのだった。


そこで後日、客としてデパートを訪れ、エントランス・ホールのベンチで歌うことにした。ちょうどクリスマス・シーズンで、大きなツリーが飾られているので、その前でなら小声で歌っても、クリスマス・ソングの鼻歌くらいに思ってもらえるのではないか?そう考えたのだ。

デパートから徒歩15分の自宅で、じっくり「光の宇宙樹の歌」を歌ってから外出。デパートに着くと、エントランス・ホール奥のトイレで祈り、アメリカ兵の方々にお声がけしてから、ベンチに座った。

すると彼らは、すぐに集まってきた。そして私の誘導で、光の倍音唱法版『アメイジング・グレイス』の高周波に共振。「黄金の光の宇宙樹」状態の私の内側を通って、次々に上昇していったのが感じられた。その際、解き放たれていく彼らの安堵や感謝が輪唱のように伝わってきて、歌いながら思わず感涙………。


成仏できていない方々の帰天サポートだなんて、誰にも教わっていないし、まったく怖くなかったと言ったら嘘になるだろう。でも、閃きのままに実行したことで、

「慈悲の力は、恐怖心に勝る」

そう実感することができたのだった。


それからしばらくして、親族の一人が亡くなったという電話がかかってきた。彼の告別式に参列しなければならない。そう考えた途端、なぜか強烈な嫌悪感と怒りがこみ上げてきた。

するとその夜、夢を見た。
それは、幼い私がその親族から虐待を受けている夢だった。そして起きてみると、虐待されていた体の部分が実際に痛み、出血までしていた。その処置をしながら思い出したのは、幼いながらも被害を訴えた時、周囲の大人たちから、私のほうが嘘をついていると決めつけられたこと。そして体と心、二重の痛みごと、虐待そのものの記憶が封印されてしまった、という経緯だった。

そこで私は、「インフルエンザにかかってしまったので参列できません」と、方便としての嘘の連絡を入れ、自分自身の癒しから向き合うことにした。
涙が涸れるまで泣いた後、高次元ガイドたちの愛と光のサポートを祈り、感謝してから、「光の宇宙樹の歌」を歌うことにしたのだ。

すると、「黄金の光の宇宙十字架」になった後、いつもとは違う声が出てきた。それは、激しい感情を表現する、オペラ風の強く高い頭声だったり、厳しい歌詞を慟哭のように叫び歌う、スペイン古謡風の地声だったりした。
それらの声が出てくるにまかせ、時おり泣いたりしながら、両手で自分の体をさすり、心を抱きしめ続け………。
そうして最後にやっと、「すべてをまるごと慈しむ愛燦燦❇✴❇の光の高周波倍音唱法」になったのだった。

このようなセルフ・ヴォイス・ヒーリングを3回(3日間)やった後、やっと私は、幼児虐待の加害者だった親族の帰天サポートのためにも、「光の宇宙樹の歌」を歌うことができた。
33歳の冬のことだった。


❇次の投稿は、『光の宇宙樹の歌』~15.「光の宇宙樹の歌」をレッスンしても、歌えない人の特徴とは?~です。
お楽しみに!💞🌏💞

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