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(私流)自分を好きになるとは

いきなり壮大なタイトルになってしまいました。
私流とつけたのは、私の意見は私の価値観というだけなので、軽く聞いてくださいという気持ちです。

今回は、自己肯定感とは何だろうという考察です。
私は、今もですが基本的に自己肯定感が低いように考える傾向があります。
めちゃくちゃ昔はどちらかというと自信満々だったのですが、中学の頃思春期から逆に自信満々すぎて周りと馴染めず、周りより劣ってると思うようになったのがきっかけだと思います。なんか草w

それから、見た目も性格も全て自信がなくなり、全てにおいて無意識に他人と比べて優劣を決め、自分の価値を量っていました。

なぜ周りと同じように馴染めないんだろう、なぜあの人は優秀なのに、同じ歳の私は足手まといなんだろう?
周りもそう思ってんだろうな。それなのにプライドだけは高くて、自分が大好きで…こんなやつのどこに価値があるんだろう。
ここからは、自己肯定感のことを「自己価値」といいます。

自己価値を他人で量るのは、苦しいです。無意識なことが多いかと思います。
自己価値を低く見る癖は謙虚で良いっちゃいいのですが、自分のことを嫌いになります。
しかも自己価値が高ければいいなと思っているにも関わらず、ただ自分の内的思考に没入し始めて現実から離れ始めて塞ぎ込むので、止められず大変です。で、止める方法として「自己価値」を底上げするしかないと思いつくのですが、現実とのギャップに余計絶望し、ループしていきます。
つまり、
現実で上手くやりたいというよりかは、自己評価を下げないようにするのが目的になっています。思考が恐怖に支配されて自分が嫌いになります。

どうすればいいかですが、
自分と他人を比べている時、「能力」だけで測っていないでしょうか。確かに自己価値を測る分かりやすい基準にはなります。
ほかの人が自分よりも能力が低いと感じた時、自分の価値が上がったと感じることが出来ます。しかし、逆に自分の能力が劣っていると感じると、また自己嫌悪に陥ります。メリットもデメリットもあるので、能力で他人と比較するのがダメとは言いませんが、結局比較して優劣で自分を評価していると安定した「自分の価値」はずっと持てず、変動する自信に振り回されることになります。自己価値をあげたいと恐怖することこそが自己価値を下げるなんて、矛盾していますよね。ややこしい性格です。

結論としては、私は周りの評価を気にして怖がらないことこそが、自分の価値を自分であげる1歩になるんじゃないかと思います。
が!!理屈では分かってるけど実際の能力が足りないんだから結局自己価値なんかねえわ、と、思うかもしれません。それなら、現実で実際の能力を上げる方法を考え、自分に出来る自分なりの方法を模索する方法に切り替えてください。
まあ私もそれも苦手分野ですけどね。笑
次はこのテーマの2にしようと思います。

長くなってしまったので切り上げます。
読みにくかったらすみません。お疲れ様でした!

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