母の愛が欲しい、という違和感


私はいわゆる毒親、とやらに育てられたと思う。
完璧でないと愛されない、という価値観。

思春期から最近まで、恨むことも多かった。

同時に、本当は毒親じゃないのでは?と
母親を悪者にしたくないと思う自分もいた。


「毒親」、なんて見た目の悪い言葉。

被害者意識が過ぎるだけなのか、
本当に客観的にそうなのか、
判断できる基準はどこなのか?

ネットには、「毒親」やら「親ガチャ」やら
「親は必ず子を愛す」、「子は親の味方」、

なんかもういろいろありすぎてうんざり。

それでも、日常生活に
自己肯定感の低さが影響して、

考えたくなくても、
悩む度に親の愛にたどり着いてしまう。

上記のように、
親の愛に関しては、
頭の中がぐっちゃぐちゃなのである。

今現在、
親元を数百キロ離れ、親も物理的に子離れし、
親子関係は悪くなくなったことも、
親を責めきれない理由でもある。

それでも成人するまで、苦しめられた事実もある。

自分の中の被害者意識と、
自分の中の社会性、客観的意識が、
どっちも譲らない。


高校生からアラサーになる今まで、ずっと悩んできた。

でもふと昨日、思った。

どうして子どもは親が好きだと断言出来る?
どうして親は子どもを愛してると断言出来る?

どうして親が子に愛情を注ぐ?

当たり前なの?お互い人と人じゃん。
時代も境遇も、その時その時で違うし、
その人その人で違うじゃん。

やっと、他者との境界線が生まれたのかもしれない。
もしくは生まれすぎたかもしれない。

もう過去はどうあれ、
自分は自分だし、生きてる意味も自分次第だし、
別に何しても自由だし、
自分で自分を苦しめる必要なくない?

他人のせいにしてたけど、結局それって
自分で自分を苦しめてただけじゃん。

親の愛が欲しいって、
自己解決もしようとせず、他者にすがってるだけかも。
ってふと思ったのです。

これからは自分で自分を愛そう。

親だろうと嫌な上司だろうと、
価値観の合わない知り合いだろうと、
その人たちにされた嫌なことを
何度も脳内で反復して、
自分で自分を苦しめるのもやめよう。
他人だもん。
もう知らん。

自分にとって、大切な人たちに、
自分で自分をあたためて出来た優しさを、
プレゼントしていきたいな。

と、今まで綺麗事だと思っていたことが
しっくりきた日でした。

あくまでも自分の、今の自分の意見です。

どれだけ考えても、
ふとこう思ったりするのね。という話。

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