【寄稿④】わたしの「野性」を呼び戻す、アマゾンの「野生」カカオに出会う旅
※Felissimo chocolate museum での企画展 "Chocolate story —カカオの記憶、あるいはカカオが見せた夢— “への寄稿文を転載しております。
バルセア野生種カカオ(O cacau da várzea amazonia)。
片道6日かけ、そのカカオのもとに通い続け8年が経つ。
カカオの生まれ故郷・アマゾンのバルゼア(氾濫原)。
水と森が交わり、奇跡的な豊かさと多様性を誇る地で、
そのカカオは悠遠の時を生きている。
そのカカオに対峙すると、私はイチ生物に還る。日頃人間社会で機能している、公私さまざまな肩書きを背負った“私”の輪郭があやふやになっていく。
樹高15mはあるだろうカカオを、多種多様な樹木達が取り囲み、足元には、想像すらつかないほど膨大な虫や菌がうごめいている。
(その数は、数千万種以上という説もある。)
幹に枝にぴったり寄り添う深い苔。止むことなく鳴り続ける鳥達の重奏。
猿やオウムがカカオの実を貪り、ナマケモノがすやすやと枝で眠りこける。
傍には、アンデス山脈から海を目指し、何千キロと悠々と流れるマデイラ川*が穏やかに、滔々と時を刻む。
*乾季と雨季で水位(20-30m)や川幅(100mも!)が変化するこの川と森とが交わる土地が、バルゼア(氾濫原)である。
そのカカオは、農薬はもちろんのこと、肥料すら必要としない。
マデイラ川がたっぷりの栄養を運んできてくれるからだ。
カカオが実をつけるのは、虫のおかげ。
人間が植えずともカカオが広がって行ったのは、猿のおかげ。
そしてカカオは、動物・植物・虫類、菌類に栄養や住処を与える。
それぞれが、めいっぱい己の生命を全うすることで、創り上げる奇跡的に
豊かな生態系。テクノロジーでは再現不可能な、地球上でもっとも複雑で
巨大な構造物の一つ、アマゾンの熱帯雨林。カカオはその恵みそのものだ。
生産性と病害菌耐性を高めることを目的とした品種改良カカオは、収穫しやすいよう2-3mほどに剪定することが多いが、そのカカオは空へ、大地へ、制限なく縦横無尽に腕を伸ばしていく。自らの重みゆえに時にアーチを描きながら、より多くの子孫を残そうと、世界を余すことなく知ろうと、貪欲に手や腕を伸ばしている。その自由な造形は子供達の絶好の遊び場となり、
その腕に包まれたいという欲求を抑えきれず、私も思わず飛び込む。
太古の時代から続く巨大な循環の片隅で、ただ息を吸い、ただ存在しているだけで、その循環に参加している気がしてくる。
“そうだ、「人間」もこの循環の一端を担う、イチ生物に過ぎないのだ”
と、体が、心が、思い出す。圧倒的な存在を目の前に感じる無力感は、どうしてこんなに心地いいのか。小さな人間社会でのしがらみから解放されるからか。人間は、「何者か」を一切問われず、ありのままの生命体の一部として繋がることで安心を覚えるものなのか。
このカカオがチョコレートとなるために重要なのが、「森の番人」である
ヒベイリーニョ(川沿いで伝統的暮らしを営む住人)や先住民族達と、この世界一豊かな生態系に暮らす微生物達である。
カカオがチョコレートになるには、豆を発酵・乾燥させる必要がある。チョコレートのアロマやフレーバーを大きく左右するこのプロセスは、自然の変化に合わせた丁寧かつダイナミックな作業が要求される。
我々のような高度産業社会に生きず、生き抜くために自然・気候を知り尽くし、自らの肉体と感覚を研ぎ澄ましている「森の番人」。生物としての精神的・肉体的たくましさに裏付けされた爆発的な生命力を持つ彼らと、熱帯雨林に共生する万余の微生物の共同作業により、カカオ豆は醸され、チョコレートへと変身することできるのだ。
そのカカオから生まれるチョコレートは、時々の気象条件や、川の水位や、微生物達の動きによって、毎回フレーバーが異なる。工業製品のような均一な味は存在しない。アマゾンの「野生」が生み出すこのゆらぎは、農作物本体の姿であり、魅力だと私達は考えている。
街に戻り、カカオを口に頬張る。滋味深い「野生」の味を噛み締めながら、イチ生物だった“私”を思い出す。街で生き抜くために張り詰めた心身が緩み、思わずほっとする。
“Wild”には、2つの意味がある。
「野生」=動植物が自然の中に育つこと。
「野性」=自然のままの性質、本能的な性質。
そのカカオの「野生」は、私の「野性」を呼び戻してくれる。
“「野生」に触れて、「野性」に還る。From the wild, into your wild”
公私共通のテーマである。
物質社会の恩恵を受ける者として原点回帰を説くつもりはないが、時に「野性」に還ることで、私はこの社会でもう少しだけ、たくましく生きていける気がするのである。
By 武田エリアス真由子
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?