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自然不自然

アスファルトの上を歩くときに感じる違和感がある。

歩きやすくならされた道は、晴天が続いても砂埃は起きないし、雨の日にぬかるんでそこらへんが水たまりだらけになったりもしない。

私は、自分は都市の中でしか暮らせないと思っているのに(今のところ)、毎日舗装されたアスファルトの上を歩いていると、どこか生き方が間違っているような気がしてくる。

いま一緒に暮らしている猫がいつか死ぬときのことを考える。

とても快活な子だから室内での暮らしはきっも物足りなかっただろう…と思うだろう。

どこかの人間が殺してくれた動物を使ってビタミンやタウリンなどを添加して作られた「総合栄養食」なるものを与えられ、ニセモノの虫のおもちゃを追いかける日々は退屈だったのではないか?と思うだろう。

安全な場所で、与えられるものだけを目にして口にして、子供を産めない体にされ、いつまでも子猫のような気分で過ごす一生は幸せだろうか?と思うだろう。

猫の完全室内飼いが推奨されているのは結局のところ人間の都合でしかない。

猫のフンが迷惑だ、エサをやると増えるから迷惑だ、などと言う人がいるけれど、そういう人は人間が人間以外の生き物にかけている迷惑についてどう整理しているのだろう?と思う。

もし、うちの猫が外にも出られるとしたら、たぶん進んで出るだろう。

と思うけれど、私は猫にできるだけ長く生きていてほしい。

人間の車やバイクに轢かれたり、猫が嫌いな人間に虐待されたり、感染症に罹って苦しんだりしてほしくない。

だから、外には出さず、部屋に閉じ込めている。

苦しんでいる猫を見ることが耐えられないから、私のエゴでそうしている。

でも、これは生き物として在るべき姿なのだろうか?とよく思う。

私も猫も、もっと自由に生きられるのではないから?と思う。

こういう違和感を払拭するために今とは違う生き方を選ぶべきなんだろう。とも思う。

でも生き方を大きく変える勇気と知恵が今の私にはない。

そのことが、私を幸せにしないと分かっているのにいつまでも動けないでいる。

現代の地球、人間社会で、自然と共に生きようとすることは、都会で暮らすよりも多くの人間関係が必要になると思う。

そのことか変化へ向かう足かせになっている。

やっぱり私には、まず、人間や人生を肯定することが必要なんだと思う。

肯定へたどり着く過程を想像しただけで苦しいけど、そのことが頭に浮かぶということはきっと必要なことであり、たどり着ける境地なんだろうと思う。

だから、今年も人間をがんばる。

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