見出し画像

女の子にも男の子にも話さなければならない、肉体的ハンデの話




お兄ちゃんに喧嘩で手ひどくやられた下の子に話をする。

下の子のことをかばって上の子を怒る私を、下の子が止めようとした。
「やめてやめて。怖いから」
「怖いってなに!」
「殺人事件になりそうなんだもん!」

反抗期まっさかりの上の子と取っ組み合いの大喧嘩になって、ものが飛ぶわモップで応戦するわの大騒動になったことをよく覚えているのだ。
あの時は下の子がすごい悲鳴をあげたので、上の子も我に返って冷静になったようだった。

「いや、だめなことはだめって伝えないと!今、この時に、このタイミングで言わないと!」
「やだやだ、怖い怖い」

あなたが自分が怖いから止める。
それはお兄ちゃんに正しいことを伝える機会を阻むことになる。

怒るならそれだけの気合を入れて、刺し違えて死ぬぐらいの覚悟で行かないと!

ひと段落して落ち着いた後、下の子に、言葉を選びながらゆっくり話をする。

もう正直、お母さんも高校生の上の子には力ではかなわない。
だからといって、言わないといけないことを伝えないのは違う!

男性は女性よりも力が強いから、「いつも我慢を強いられているのは自分の方だ」という気持ちがあるわけ。
世の中は強い方が勝つはずなのに。
持って生まれた力を行使出来ないフラストレーションがある。

本来なら自分の方が(力が強いので)立場は上のはずなのに、弱い立場の女性が対等な顔をして、生意気な顔で、言いたいことを言っているのは、「自分が我慢し、許してやっているからだ」という意識が潜在的にあるの。必ずある。
それは大前提で、否定できないし、忘れちゃいけない。

その我慢は、一般通念のモラルからきていることもあるだろうし、法律に対する知識からきているのでもある。(下心もあるし)性格もある。

それは、世の中には力の強い女性だっているよ?我慢してるなんて思ってない男性だって、精神的に男性を完全に支配できる女性だっている。
けれど、統計学的に、一般的に、肉体的に、男性の方が力は強い。
これはもう変えられない性差だから、わたしたち女性も受け入れないといけない。

そして、弱いなら弱いだけ、覚悟を持って、勇気をもって、賢く立ち回らないといけない。

という風に、もっと噛み砕きながら、ゆっくり話した。
そのうちこの子も気付くはずだ。
女であるということ自体が力を持ち、武器になり、利用することが出来るということを。
しかし、そこをあてにしてしまっては、人と人としての話し合いは出来なくなる。

だからこういう風に伝えた。

その「賢さ」は、真正面からぶつかって、はっきりとそれは嫌だ、ダメだ、と伝えることを、やめてしまうことではないよ!

たくさんの女性がDVに悩んでいる。
お兄ちゃんがあなたに対してひどいのもそうだし、お父さんだって腹を立てたときそうだったこともある。

じゃあ、そんな人とは結婚しなければいいって?
それはね!DVをしない人は、別の所が本当にろくでもなかったりするからね。

下の子「浮気したりとか?」

そう。または、変な所がかたくなだったり、融通がきかなかったり。
みんなどれも全部いいっていうわけにはいかないから。
逆にDVも浮気もどっちもしない人だっているかもしれないが、恋愛や結婚は「そういう人じゃなかったからラッキー」っていう宝くじじゃないんだ。当たったら運がいいのじゃない。「そうじゃない人を探す」のとも違う。

完全なんてことはない。

お母さんは、DVに悩んでる人たちの意見をずーっと見て回ったことがある。
全部、そのクセはなおらないから距離をとりましょう、離れましょう、離婚しましょう以外の意見はなかった。
それは正しい。

けど一つの意見があった。
その人は、「人はそれぞれで、自分のケースがすべてに当てはまることはないから、そこは間違えないで欲しい」という長い前置きをした後で、こう書いていた。

その旦那さんは乱暴な態度を取る人で(例えば、腹を立てたときに物に当たるとか)、それが奥さんに及ぶときもあった。奧さんは、そういうのは嫌なんだ、怖いんだ、やめてほしいんだということを、最初から最後まで徹底して伝え続けた。

なぜ嫌なのか、どう嫌なのかを、ちゃんと言葉にした。
絶対にあきらめなかった。
血みどろになりながら、徹底的に最後まで伝え続け、戦い続けた。

それは修羅の生活だった。(と書かれていた)
けれど数年後、次第に乱暴な言動は少なくなってきた。そして、やがてその傾向は消えていった。
そして、その夫婦は今は普通に暮らしている。

人それぞれ違うし、命の危険があるようなDV被害者がほとんどだと思うから、決して鵜呑みにしてはならないなと思いつつも、このケースは本当に心に刺さった一例だった。

多分、この夫婦特有の信頼関係もあっただろう。目に見えない、腹を立てていないときの生活が、二人にとって心地よいものだったとか、相性とか、力関係とか、外的要因だとか、こちらからは見えない数知れない理由がたくさんあるだろう。
もうどっぷりDV・モラハラサイクルに入ったカップルに途中からそうしろと言っても、火に油なので絶対にやめたほうがいいと思う。

しかし、伝えること。伝え続けること。あきらめないこと。
その大切さは心にしみた。
信頼がなければできないことだし、相手のキャパにもよる。

この人が試みた「対話」は一般的にわかりやすくよく言われるような、「手のひらで転がす」とか「うまくおだてる」などといった小手先のテクニックではなかった。

自分という人間すべてをかけて、真正面からぶつかっていた。

私たち女性は力が弱いから、ずっと押さえつけられてきた歴史がある。
そして声を上げている女性を見ても、暴力の怖さを知り、我慢するしか逃れるすべがないことを知っている女性たち、経験を経た女性たちは、あーあ、と思う、やめときなよと言うだろう。

それは、声を伝えるのを阻むことになる。

言葉など通用しない暴力がこの世に存在することを知りながらも、通用する数パーセントの相互理解への道を阻んではならない。
そのためには、自分の考えを言葉にしなければならない。
相手の心の声に傾ける耳を持たなければならない。

説得力を身に付けるためには、根拠がいる。
口先だけでない、自分のことばとして身に付けないといけない。

上の子には、力の弱い者でストレス発散をしてはならないときつく話はしたが、もう私の手を離れはじめているのを感じる。

こうなったらもう、話さなければならないことだけは話して、あとは信じてやる以外に親ができることはない。
そしてどこかで、方向性を間違えてはいないのだ。

親としても、上の子と下の子の距離が出来るのは、正しいことなのだという意識がある。
今までがあまりにも仲が良すぎたから。

上の子は下の子を支配しようとしてるのじゃなくて、離れようとしてる。
下の子がまとわりつくのをひどく嫌がるし、腹を立てる。
それでいい。

兄妹が、いつまでも仲良しでベタベタであってはならないのだ。
どこかで線引きをし、距離を置かないと。
だから、これは正しいことなのだ。

上の子は下の子に、もっとおとなになれって言いたいのだ。
自分がおとなになろうとしているから、いつまでも甘えん坊で、あかちゃんでいるのを見るのがイライラするのだ。

それでなくとも、母と娘の女同士できゃっきゃしているから、疎外感を覚えているだろう。
(お父さんも下の子には甘いし…)

下の子はまだ子どもだ。
しかしそろそろ教えなければならない。
女の子であるということは、それだけで肉体的なハンデは負っているので、社会的にバランスを取るためそれなりに得をしている部分だってある。
平等だと教えられているのに、女子には過剰に気を使わなければならないことが何となくおかしいと思い、変だと疑問を持つ男子の気持ちもわかる。

女性の弱いという、男性は我慢を強いられるという、その性差をお互いに不利益、ハンデと思わずにいられるよう、根気良く、何度でも、話していかなければ。

人ひとりひとり違う個性のことも、LGBTの話だって、その先のことだ。

下の子だけにではなくて、上の子にも、この話を伝えなければならないと思って書いた。



おわり。


児童書を保護施設や恵まれない子供たちの手の届く場所に置きたいという夢があります。 賛同頂ける方は是非サポートお願いします。