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あなたの名前はなんですか

 皆様いかがお過ごしですか、あまみやです。
 そう、僕はあまみやです。

 ペンネームの話をしようと思いまして。ペンネーム、というか、創作と中身の人間みたいな話でしょうか。何も考えず書きはじめているので、結果どういう話になるかは分かりません。五分くらいの暇潰し、みたいな気持ちでお付き合いいただけたら光栄です。
 ちなみに僕のペンネームの由来は特にありません。つけた当時はあったのかもしれませんが、少なくとも今は覚えていません。多分響きが好きだったんだと思います。あと雨が好きだったのかもしれません。深く考えずに名前をつけたことが露呈していますね。本名がずっと苦手で、それと全く関係ない名前にしたかったことだけは確かです。

 僕は僕のことを「あまみや」と呼ぶことがそこそこあります。あまみゃとかあまみゃーさんとか。どんなときかを挙げようと思ったのですが、いや特にないなと思考が完結してしまったので断念します。
 僕はあまみやです。

 で、この名前。本名を知っている方々にも少し知られていまして。そりゃそうなんですよ、本名が分かるところのペンネームも同じもの使ってるんですから。あっちは漢字ですけれども。この前すっかり忘れて雨宮ではなくあまみやって書きました。そう、あんまり気にしていないんですよ。
 だって僕、あまみやだし。

 最初の頃は、ペンネームを知られることに対して、結構抵抗があったと思います。絶対言わなかったし。それからしばらくして、相手にどう評価されようが自分にとってはそんなに恥ずかしいもの書いてないしなあ、と思うようになってから、言いもしないけれど隠しもしない、聞かれたら答える、くらいで落ち着きました。
 そもそも、僕が書いてるものなんて、全部創作なんですよ。言ってしまえば全部虚構なわけで。人目に触れるところで書いている時点で、誰かの目に入ることは覚悟しているわけで。それを知られて何になる。
 創作を否定され続けて、それでも辞められなかったわけで。否定されるのがしんどいことは変わらないけれど、好きにすりゃいいんですよ、とも思えるようになっています。というか否定されようと貶されようと、僕は創作を辞められないので。

 話がずれてきましたね。良くない。
 創作をしている「あまみや」は、「本名」の自分に包含されている、と思っています。二重丸の外側の丸が本名の自分で、あまみやが内側の丸。
 だから、「創作をしているのはペンネームの誰か」とは言えないんですよね。この話がしたいんですよ。創作をしているのは僕なんです、あまみやなんです、あまみやは僕で中身の人間と大体一緒なんです。誰かじゃないんです。二重丸の隙間が極端に狭い感じ。

 創作をしているのはペンネームの誰か、自分自身ではない、という考え方を否定するつもりは微塵もありません。僕の話をしているので。
 僕はあまみやで、ものを書く人間で、それがそのままそっくり、中身の人間でありまして。だからこそ、創作が相手にどう届くかを気にしている、気がします。はっきりした言葉で語れないのは、僕が未だによくわかっていないからです。感覚的なものを言葉になおすのって、やっぱり難しいですね。だから楽しいんでしょうけれど。
 閑話休題。
 中身の人間についてとやかく言われるのはどうだっていいや、と、思っています。そりゃまあ多少は傷付いたり苦しんだりはしますが。弱ってたら聞きたくない言葉ではありますが。
 そもそもとやかく言われることって、結局好みの話ですし。お好みではなかったんですね、残念です、くらいでいいんだなって思っています。律儀に傷付いてやる義理はありません。傷付いてしまうものでしょうが。
 本名の自分の内側にペンネームの自分がいるから、だから僕は、自分の創作を否定されるのが怖いんです、多分。それでも僕は、あまみやです。


 さて。貴方の名前はなんですか。僕は貴方を、何て呼べばいい。僕は貴方を、なんて呼べますか。

 

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