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夏季(kaki.)雨水林檎

退院した気まずい関係の兄と過ごす日々。
一次創作BL小説(全年齢向け)(2018発行同人誌より)
※体調不良描写あり。


 病室の窓の外では遠くに朝焼けの海が見えたという。早朝その景色を見ては、彼は今日もまだ自分が生きていたということを実感していた。それは東京からは遠い風景。その頃の俺は何も知らず彼を忘れ、景色なんてろくにみることはなくただすさんだ土地で生きていた。

再会編

 故郷は東京から在来線で二時間弱、見舞いすらろくに行かなかった兄が本日退院するとのことで俺はひとり懐かしい土地を歩いていた。駅は相変わらず人はまばら、木造の駅舎は小さく改札口は線路を渡ったところにある。駅前には古びた商店が一軒あるだけで、カフェなんて洒落たものとは縁なんてない。

 それは全て懐かしい風景、何一つ変わったものなんてなかったのにそこにひとりぽつんと立ちすくんでいる彼だけがあの頃とは違うーー兄だ。

「やあ、久しぶり」
「……どうも」

 病み上がりの彼は色素の薄い艶めいた髪も伸びて、もともと細身だったその身体はさらに痩せ白い頬は静かに笑った。大柄無愛想な俺とは正反対。

「生昌(いくまさ)くん、東京からわざわざありがとう、元気だった?」
「まあそれなりには」

 兄弟とは言え再婚した両親の連れ子だったから血は繋がっていない、出会いは兄の理瀬(りせ)が高校一年生で俺が中学二年生の時。義理の兄弟は似ているわけもなく話すらろくにしたことなんてない。数年前に男を作って家を出た義理の母と海外赴任中の父。距離的に退院した兄の迎えに来るのは一人東京で大学生として過ごしている俺しかいなかったわけで。元々丈夫ではなかった彼が入院したと聞いたのは半年も前、しかし高校時代からときたまその頼りない背中が保健室に消えて行くのを見ていたから、不思議とそこまで驚きはしなかったのだけれど。

「ごめんね、大学だって忙しいでしょう。東京にはいつ戻るの?」
「いや、試験も終わって夏休みだから。休みが終わるまでは実家にいるよ」
「そんな……付き合いだってあるんじゃないの」
「とくには」

 それは彼を気遣っての言葉ではなく、俺はいつだって誰からも縁は遠かった。他人に興味なんてない。だから今日こうして彼に会いに来るのも不思議な気分だったわけだが。この年になって異性にすら興味なんてなくて、自分でもどこか歪んでいるのは気がついていた。

 迎えた彼の持っている大きな鞄を代わりに持つ、そんな細い手でよくこんな荷物を持って来られたものだと。この鞄には病院で過ごした数ヶ月が詰まっている、彼は一体日々何を考えて過ごしてきたのか。所々骨格の浮いた肌はなめらかだったけれどそれがどこか人形じみていて怖くなり思わず目をそらす、開いたシャツの襟元からはくっきりとした鎖骨が見えた。無駄どころかろくに肉なんてついていない。

「東京かぁ……もう何年も行っていないな。きっと僕の知る街並みとはすっかり違っているのだろうね」
「変化が激しいだけだ、慣れてしまったら特に気にするものでもない」

 彼は今年二十三歳になる。俺の二つ年上で高校卒業後はこの地元の郵便局の窓口業務をして過ごしていたが病に倒れその仕事も辞めてしまった。

 自宅近くになってみると兄の歩く速度がやけに遅くなっているのに気がついた。息切れもして顔色も青ざめている。病と入院生活で体力が落ちていたのだろう。少しの躊躇の後そっと右の腕をつかむ。驚いた顔をした彼はその後少しして苦笑した。

「……ごめん」

 高校時代に一回だけ保健室で寝込んだ彼を迎えに行ったことがある。両親と連絡がつかないからと、その頃にはもう母はいなかった。その日の彼も青ざめた顔をして気まずそうに同じく微笑んで……彼の成績はこれと言って良いものではなかったがテスト前でもないのに代わりに持った重い荷物の中には教科書が詰め込まれていた。勤勉だった、誰よりも真面目で損ばかりしている。そんな彼の印象はいまでも変わらなかった。冷たい腕、あまりに細くてつかんでいるのすら怖くなるような。
 じわりと自分の身体のなかのどこかわからない場所が熱くなる。俺はまだ自分を知らない。

 ◇

 数年ぶりの実家は家を出た当時と何ら変わることはなく、多少は寂れていたかもしれないがなんにせよあまりにも思い出と重なる部屋の香りに多少の吐き気を覚えた。

 荷物を持って理瀬の部屋を訪れた。兄弟とは言え初めて訪れるその部屋は思った以上に殺風景で、ベッドとサイドテーブルの他には硝子戸棚のついた本棚しかない。ふと並んでいるタイトルを除けば俺が過去集めていた作家のものが多かった。

「生昌くん、この人の探偵小説好きでしょう?」
「え」
「ふふ、ごめん掃除の時に君の部屋に入って読んだら僕もはまっちゃって、いま集めているところだったんだ。もっと早くに聞けば良かったね、入院中はあの人の本ばかり読んでいた」

 共通する趣味、最低限の会話しかしたことがなかったから、俺は彼のことを知らなすぎる。それは向こうも同じようで気まずい空間に苦笑していた。

 その晩彼は疲れてしまったと食事もとらずに眠ってしまった。
 静かな夜とこれから夏の終わりまでの彼との生活、俺の心は複雑で仕方がない。

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