黒夢を好きになったとき

1度目に黒夢を好きになったのは
無期限の活動休止後にリリースされた
黒夢のベスト盤のCMがきっかけだった。

CMで流れていた
MIND BREAKERに
心を撃ち抜かれたからだ。
(わざと厨二病っぽく書いてみる)

今思うと
代表曲の少年や
MARIAでは無く
シングルカットもされてない
MIND BREAKERが
採用されていたのは不思議だけど

もしもCMがあの曲じゃなかったら
好きにならなかったかも
しれないから不思議だと思う。

(まあ、もしかしたら私が覚えてないだけで
 少年とかもCMで流れてたのかもしれん。)

黒夢の活動休止が
1999年1月29日だから
多分2月頃。

小学校を卒業して
中学に上がろうという頃だった。

好きになったのは
活動休止後に出た
ベスト盤なのに

活動休止後間もない
清春が活動休止について語った
インタビューが掲載された
「FOOL’S MATE」を
躊躇なく買って
家に置くくらい

私はすぐに黒夢に
(清春に?)
夢中になった。

当時、私の身の回りが
どんなだったかと言えば

私の入る中学校は
1学年10クラスもある
県下一のマンモス校で

大勢で狭い校舎の中を
ひしめきあいながら過ごした。

私が入学する
前年度の3年生は
とても荒れていて

ある日
卒業式が終わった後の
土日が明けると
校舎の窓ガラスが
割れていたと聞いた。

(割れた数は忘れたけど生徒が協力して
 片付けなきゃいけないほどの枚数。)

そんなんだったので
私たちの学年への
締め付けは特に厳しかった。

生活指導がキレた時の口癖は

「お前らほんとに人間か?」

「お前、人間じゃないだろう」

だった。

「そういうこという
 お前こそ人間かよ」

と、今でも思う。

部活には励んだけど
学校が大嫌いだった。

家庭の状況としては

私が小学校高学年の頃から
父が怒りっぽくなり
些細なことで
理不尽なまでに
怒り狂うようになった。

当時、自律神経失調症か
うつ病の薬を飲んでいたけど

今思うと
パーキンソン病の
初期症状だと思う。

反抗期になりかけていた
私は
ちょっとした一言や
ふとした態度をきっかけに
父の
雷のような
業火のような
理不尽な怒りの対象に
なることがしばしばだった。

悲惨だった。

「鬱屈とした怒り」

「悲しさ」

「手のひらを返されたような衝撃」

「ショック」

そういう気持ちが思い出される。

そしてそれをきっかけに
大好きだった
父との距離は
どんどん広がっていった。

そして母は
新興宗教にはまり
(これはもっと前からだけど
 いつからだったか忘れた)

中学に上がると
いよいよ
教祖の言葉の引用でしか
私をなだめようとしなくなった。

私は母の言葉が
聞きたかったのに。

悲しみ。
怒り。
絶望。
やり切れなさ。

私が中3の時に
弟が中学に上がるが
すぐに不登校になり

次第に母と弟は
共依存のように
なっていった。


孤独

まるで氷の中で
過ごしているかのように
孤独だった。

そしてその氷が
時間とともに
どんどん厚くなって
しまうかのようだった

自分では
どうにもできないままに。

思春期、

私が
黒夢やSADSを
聴いてたのは
そういう時期だった。


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