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小ネタ②~大和選手と二遊間を組んだ選手

大和選手の小ネタシリーズ第2回。
数年前からまとめたいなあと思っていた、大和選手と二遊間を組んだ選手を調べてみました。
選手の名前だけでなく、各選手と組んだ回数もまとめています。
テーブルスコア等を目視で確認したものですので、多少間違いもあるかと思いますが、その辺は大目に見ていただけたら。(すみません)

では早速。

大和選手と二遊間を組んだ選手

まずはスタメンの相手から。
(数字は一軍の公式戦のみで、オープン戦やポストシーズンは含みません。)

小ネタ②二遊間を組んだ選手(スタメン)

大和選手が1軍の舞台で初めてショートでスタメン出場を果たしたのは2010年。
タイガースのショートは2016年のシーズン途中まで鳥谷敬選手がフルイニング出場を続けていましたが、フルイニングが始まったのは2012年からで、それ以前には大和選手もショートを守ることがあったようです。

2012~2014年の3シーズン、タイガースで最も多く試合に出ていた頃は外野メインだったため、二遊間でのスタメン出場はわずか。
2015年からは出場機会が減る一方で、内野を守る機会は増えていきました。ただ、スタメンでの起用は多くありませんでした。
ベイスターズ移籍後はスタメン起用も増え、ポジションはショートメインとなりました。二遊間を組む相手は流動的だったようです。

プロ野球では多くの試合で、さまざまな理由により選手交代や守備位置変更が発生します。
そういった途中出場や守備位置変更により、大和選手と二遊間を組んだ選手とその回数も調べてみました。

下の画像は、スタメンの回数にそれらを足したものです。

小ネタ②二遊間を組んだ選手(ALL)

スタメンの組み合わせでは見られなかった名前もありますね。
藤本敦士さんと組んだことがあったのは、今回調べて初めて知りました。
その試合は2009年5月20日、ヤフードーム(当時)で行われた対ホークス戦。

1点ビハインドの8回表、鳥谷選手に代打・桧山選手が告げられ、その裏から大和選手がショートの守備位置についています。
タイガースは9回表に同点に追いつき、延長戦に突入したものの、10回裏にホークス・松中選手にサヨナラホームランを打たれ、惜しくも敗戦。
なんとも劇的な試合だったようです。

最後は選手別総数です。
スタメン・途中出場、ポジション問わず、組んだ回数を全部足しています。

小ネタ②二遊間を組んだ選手(ALL)2

タイガース時代は鳥谷選手、ベイスターズ移籍後は柴田選手と最も多く組んでいます。両者とも他の選手の倍以上ですね。

他球団の選手と二遊間

何度も夢見てきました、大和選手が代表やオールスターに選ばれて、他球団の「守備の名手」たちとプレーする姿を。
しかし、残念ながらその夢はいまだ叶っていません。
ただ、ファーム時代には北京オリンピックのプレ大会やフレッシュオールスターに選出された記録があります。

北京オリンピックのプレ大会については、アーカイブサイトでの閲覧になりますが、当時の侍ジャパン公式サイトにゲームリポートが書かれていました。大和選手は打撃で活躍したそうです。

ここからは写真を少し。
まずは、Getty Imagesから。
2007年8月23日に行われた中国チームとの決勝戦の様子です。
手前が大和選手、後ろに写っているのはジャイアンツの坂本勇人選手です。

坂本選手はルーキー、大和選手は2年目。背番号はともに60番台。まだ体も細く、初々しさがありますね。
写真を見る限りでは、坂本選手がショート、大和選手はセカンドだったのでしょうか。

AFP通信にも記事がありました。
優勝を決め、笑顔でマウンドに集まる選手たちの様子など、10枚の写真が掲載されています。
リンク先の写真は、坂本選手と笑顔でハイタッチする大和選手が映っています。(顔は違う方向を向いてますが)

ちなみに、この大会の選出メンバーはこちら。

北京オリンピック前年のプレ大会。開催された8月は、プロ野球はペナントレース中、社会人は都市対抗野球があるということで、プロ野球からはファームの選手、アマチュア側は大学生を中心に選ばれていたようです。

このメンバーの中でいまもプロ野球で現役を続けているのは坂本選手、バファローズのT-岡田(岡田貴弘)選手、ファイターズの宮西尚生選手(当時は大学生)と大和選手の4名。
過去の記録を調べるたびに、プロで10年以上続けていくことの大変さと凄さを思います。

フレッシュオールスターの記録も見てみましょう。
大和選手はルーキーの2006年、2年目の2007年に選出されています。

2006年は東西ではなくセパ対抗。

大和選手は途中出場で、ポジションはセカンドだったようです。
ショートはスタメンがカープの松本高明選手、途中でスワローズの川端慎吾選手に変わっています。

2007年は再び東西対抗に。
この年はショートで、ホークスの金子圭輔選手との二遊間でスタメン出場を果たしています。
金子選手は途中でサーパス(バファローズのファームチーム)の森山周選手に交代。金子選手、森山選手と二遊間を組んだ試合でした。

おわりに

以上、大和選手と二遊間を組んだ選手に関するあれこれでした。

タイガースとベイスターズ、両球団で総勢20名!(打線が組めますね)

タイガースもベイスターズも二遊間の選手起用が流動的だったこと、大和選手がどちらのポジションも守れたことから、これだけの選手と組む機会があったのかなあと。
ただ、私は他チームのことはよく知らないので、似たような選手は他にもいるかもしれません。(雑な締め)

※  ※  ※

ここからは余談。

今回記録を調べながら強く思ったのは、大和選手が1軍に出始めた頃の姿を見たかった、ということでした。
私は大和選手が1軍に定着しだした頃、ポジションで言えばセンターを守っていた頃から本格的に応援するようになったので、外野転向前のことはよく知りません。特に、当時の「空気」を。

入団当初から守備の評価が高かったことは、当時のエピソードからも窺い知ることができます。起用法も、当然ながら二遊間が中心でした。

未来のタイガースの二遊間を担う選手として期待されていたのだろうか
ファンはどんな思いで彼を見ていたのだろうか

どんな選手にもルーキー時代があり、失敗も「成長の糧」としてファンから温かく見守られていたときがあったことを思います。
そして、そこから積み重ねてきた時間の長さと重みも。

あの時代を知っていれば、後の外野転向やスイッチ挑戦、移籍に、今とは違う物語を見ていたかもしれないと思う今日この頃です。


参照サイト
日本野球機構 https://npb.jp/
阪神タイガース https://hanshintigers.jp/
横浜DeNAベイスターズ https://www.baystars.co.jp/
福岡ソフトバンクホークス https://www.softbankhawks.co.jp/

スタメンデータベース https://sta-men.jp/
- nf3 - Baseball Data House Phase1.0 http://nf3.sakura.ne.jp/index.html


見出し画像はいらすとや https://www.irasutoya.com/

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