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五度目の秋に

この文章はタイトル通り、昨年の秋に書き始めたものです。書き始めたのはいいものの、思うように言葉が出てこなくて、約半年間放置状態にありました。
新しいシーズンが始まる前に書き終えたいと思っていましたが、それも叶わず。下書きのままお蔵入りも考えましたが、やはり書き残しておきたいという気持ちを捨てることができなかったので、今回やや強引にまとめました。
シーズンが始まったばかりの妙なタイミングになってしまいましたが、私の「モヤモヤ」にお付き合いいただける方はどうぞ……。

※  ※  ※

秋――「FA」という2文字が野球関連のメディアを賑わす季節――が訪れるたびに、胸がざわつく。そのざわつきは年々激しくなっているようにも、穏やかになっているようにも思う。2022年、5度目の秋だ。


この記事を書いてからまだ3年前しか経っていないことに驚く。
あれからもう、それこそ5年以上経っているような感覚さえある。
この感覚こそが、私の気持ちが離れつつある何よりの証拠と言える。

自分の気持ちの変化にはもちろん気付いていたが、それを文字に起こすことには躊躇いがあった。
ただ、膨らみ続ける「モヤモヤ」をずっと心に留めておくのも落ち着かない。そろそろいいのではないか。そう自分に言い聞かせて、いま書いている。

好きな思いを綴るのは楽だ、「楽しい」という意味で。書き始めたらするすると文章ができあがっていく、その過程もまた楽しさに拍車をかける。好きなことを書くのは、基本的に「楽しい」行為だ。
では、その思いが冷めてしまったら?

noteに思いを綴り始めて3年が過ぎたが、図らずも、私にとってこの場所は気持ちの「揺らぎ」の記録となった。書き始めたころの熱量はいまはなく、少しずつ冷めていっているのが言葉にも滲み出ている。
意図せずしてそうなった。「書き続ける」とはこういうことなのだろう。迷いながら、時に多少無理して気持ちを奮い立たせ、それでも書き続けたのは良かったと思う。

私の気持ちの変化の理由は、主に3つ挙げられる。

まずは、コロナ禍において、プロ野球そのものへの関心が薄れてしまったこと。
2つ目は、私が何よりも好きな、彼の「守備力」(と呼ばれるもの)に以前ほど魅力を感じなくなってしまったこと。
3つ目は、彼をめぐる「物語」に関して思うところがあったからだ。

今回は3つ目について書きたい。

私はタイガース時代から彼を応援してきた。もう10年以上になる。
2017年の秋、FA宣言を行った彼と入団交渉を行ったのは、タイガース、ベイスターズ、バファローズの3球団だった。その中で彼が選んだのはベイスターズだった。

移籍後の彼の「物語」には、決まって次のような言葉が並ぶ。

「笑顔」
「楽しい」
「明るい」

笑顔が増えた、野球が楽しい、明るいチーム。
彼自身もそうした言葉を繰り返し発していたし、それはベイスターズのファンも同様だった。

ネット上では移籍前後の彼の変化を象徴するものとして、タイガース時代のある試合での表情を写したテレビ中継映像のキャプチャ画像が繰り返し貼られたりもした。それは、唇を真一文字に結び、厳しい表情でベンチからグラウンドを見つめる彼の姿だった。

一部のファンによるこの行為は何を意味するのか、何故このような行為が繰り返されるのか――。

私はこうしたベイスターズ視点で語られる彼の物語、「不遇な扱いを受けていた選手が新しいチームで居場所を見つける」という物語に、段々と嫌気がさすようになっていった。
この「物語」はいまもなお語られ続け、彼の移籍後、他球団を経て入団した複数の選手に対しても同様のことが行われている。

彼が古巣で辛い思いをしたのは事実だろう。しかし、そうでない日々もあった。
気の置けないチームメイトたちとたくさん笑っていたのも知っている。
土と天然芝のコントラストが美しい甲子園球場で、彼のプレーはその美しさに負けない魅力があった。私だけでなく、多くのファンが彼のプレーに酔いしれ、ファインプレー後にはいつもタイガースファンによる「大和」コールが球場に響き渡った。
あの大歓声が、「大和」コールが、私は大好きだった。
そうした日々を、かけがえのない思い出を、よく知らない人々に揶揄されるのは我慢ならなかった。

タイガース時代の彼を応援し続けた日々は、私にとって大切な時間だ。移籍して何年経っても、私の原点はそこにある。
私はタイガースのユニフォームを着た彼の姿に魅せられて、今も追いかけ続けているのだ。

私はこの3年間、大和選手に関していろいろな角度から駄文を書き連ねてきた。数字と睨めっこしたり、ツイッターをちまちまと眺めたり。
だが、その多くは、ただ自分の「思い」を書いているに過ぎない。
大和選手のことを書いていたのか、「自分語り」をしていただけだったのか。後者かもしれない。

私が知る「野球」は、その多くが大和選手を通して見てきたものだ。
「野球観」と呼ばれるものがあるのなら、私のそれは、私が見てきた彼の野球人生に重なる。
(「自分語り」はあんまりなので、私はここで自分の「野球観」を書いていた、ということにしておこう。)

あとどれだけの時間、私は大和選手を通して「野球」を見、「野球」を語ることができるだろう。
冷めていく情熱を追いかけながら、迫りくる「その日」を思う。


写真は2022年11月、奄美大島にて撮影。

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