異文化間コミュニケーションを考える一冊。 ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』みすず書房2017

異文化間コミュニケーションを考える一冊としてこの本を紹介します。

ブレイディみかこさんはイギリスの最貧困地区の託児所で保育士として働いていた人です。

その託児所を利用する人は

本の要約サイト flier(フライヤー) https://www.flierinc.com/summary/1400 のまとめによれば、以下のような人たちでした。

もともとこの託児所を利用していた人たちは、大きくは次の3つのタイプに分けられた。

1つ目は「アナキスト」、戦う激左と呼ばれる人々だ。高学歴で育ちが良く、自らの意志でミドルクラスから下層に降りてきたヒッピー系インテリゲンチャたちで、勤労せず失業保険や生活保護を受けながら、自ら信じる政治信条のためにヴォランティア活動を熱心に行なった。

2つ目は「チャヴ」と呼ばれる、公営住宅地にたむろしているガラの悪い若者たちだ。10代の妊娠やドラッグなど、英国社会の荒廃の象徴とされてきた層である。彼らのなかには、親子三代生活保護で生きている人もいた。

3つ目は英国に来て間もない外国人である。難民の親子や、英語ができないため仕事が見つからない人もここに該当する。底辺託児所の母体である慈善センターが運営する、外国人向けの無料英語講座を受けに来る人が多い。

ブレイディみかこさんが、一度離れたこの託児所に戻ってきたとき、保守党の歳出カットで生活保護等の打ち切りがあった影響で、英国に来て間もない外国人の比率が多くなっていたのだそうです。

本を読んでいて印象に残ったのはチュニジアから来たある女性です。

この人は「勝気で賢い人」であり、英語の上達も早かったのだそうです。また、立身出世を信じていて、「努力しない人間が貧しいのは当然だ」という自己責任論者だったといいます。

子供には厳しくて、言うことを聞かないと、手を振り上げて「言うこと聞かないとこうだよ」みたいなことを言ったらしいのですね。

(日本でも、私が子どもの頃は、握りこぶしにハァーっと息をかけて、げんこつをお見舞いするぞというような大人がいたものですが・・・)

そうすると、イギリスの人たちは「ここでそんなことをやると、児童虐待ということになってしまって、最悪の場合、子供と離れて生活しなければいけなくなるよ」と言うのですが、その女性は「そんな甘いことを言っているから、この辺りのイギリス人は堕落した生活をしている」というようなことを言いかえしたりするわけですね。

また、あれこれうまくいってないことがあるとき、通常の場合、ファミリーサービスの人が間に入ってなんとかするのですが、そのファミリーサービスの人とうまくいってないのです。なぜかと言うと、そのファミリーサービスの女性は「女性と家庭を持っていて、子供を育てている」という人だったわけです。(その子供は例えば離婚する前にできた子供なのか、精子バンク等を利用して自分で産んだ子なのか、養子として引き取った子供なのかは詳しくは書いてありませんでした。とにかく女性二人で「結婚」していて、子どももいるということです。)

チュニジアから来た女性は「そんな変な人にあれこれやってもらいたくはない」と言います。周りの人が「ここでは合法的なことで、それは尊重されなければいけないのだ」と言うと、「法が許しても神が許さない」とかなんとかいうわけです。

ブレイディみかこさんによれば、イギリスでのやり方にまったく歩み寄ろうとしないこのような人は、どちらかと言うと少数派らしいです。

しかし、まあ、「法が許しても神が許さない」というのは、印象的な言葉ですね。

多様性の擁護を認めるのであれば、特定の宗教や特定の考え方(善悪観念)も含めて、周りが当人の持っているものとは違う価値観を強制することはできません。

あくまでも歩み寄るように働きかけなければならないわけです。現地でのやり方を徐々に理解していただいて、それに配慮してくれるようにしてもらわないといけないということです。時間のかかることですし、困難な事もありますが、そういうのも含めて異文化間コミュニケーションと考えないといけないのだなと思わされたのです。

今後、このようなことが日本でも増えていくかもしれません。

なお、ブレイディみかこさんの著書を読むなら、比較的最近出た本(たとえば『他者の靴を履く』文藝春秋、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社など)のほうが読みやすいかもしれません。自分の子どもが、マイノリティの扱いになるということで、当人がそれをどう考えているのか、という視点から書かれている本です。

追記:
移民向け英語教室の講師をしている60代の女性が、単に英語を教えるだけではなく、いろいろな面で母親たちを支えようとしていることや、子供を預かっている保育士との連携を図ろうとしたというようなことも書かれていました。(それが可能な人で、かつ、それをやる意志があるなら、周りの人にとって頼もしい存在なのだと思います。)日本語教育界も(社会などに関する知識を幅広く持つようなカリキュラムになっている点をみると)様々な連携という点で手腕を発揮できる人を育てたいという気持ちがあるのだと思います。


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