自分を鏡を見て自分だと思うのは、人間だけではないという話。

『魚にも自分がわかる ―動物認知研究の最先端―』(幸田正典 筑摩書房2021年 ちくま新書〈1607番〉)を読みました。

簡単に言うと、自己鏡像認知(自分を鏡を見て自分だと思うこと)がある種の魚にはできますよということを述べた本です。

これまで、自己鏡像認知をするのは、チンパンジー、イルカ、ゾウ、カササギなど、ある程度知能が高いと思われていた動物だけだとされてきたのですが、魚も?ということで、驚かれた研究の紹介です。

この本では、まず、脳についての新しい知見について述べています。

以前はマクリーン仮説というのが常識だったということです。

これは、人間の脳については、「爬虫類にも共通するような脳」があり、その上に「古い哺乳類の脳」、さらにその上に「新しい哺乳類の脳」が乗っているような構造をしており、それらが進化の過程で付け加えられていったと考えたものです。

「爬虫類にも共通するような脳」は本能を司り、人間だけが行える高度な行為は、脳の最上位の「新しい哺乳類の脳」の働きなのだと考えたわけです。

確かに私もそのように習いましたし、そのような説明を聞くことは今でも多いような気がします。

しかし、21世紀を迎える頃から、その仮説は否定されるようになったのだそうです。

例えば、魚類の脳は、原始的なものだと思われていたのですが、解剖学的には、実は「古い哺乳類の脳」、「新しい哺乳類の脳」と言われた部分は、魚類では中に潜っているような構造になっているだけで、持っているのだそうです。

そして、それらの間の神経のつながり方も、魚類の脳は人間とそう変わりないのだそうです。

さて、この先生が自己鏡像認知で使ったのは、ホンソメワケベラという魚です。

この魚は、性転換することでも有名です。

ついでに言うと、私は、この魚のことは「毎日新聞2017年8月31日 東京朝刊」の記事、「科学の森」のコーナーの「水中生物 なぜ性転換 限られた出会い、子孫を残すため」という記事で初めて知りました。この記事には、

①ホンソメワケベラは一夫多妻制で、オスがいなくなると、メスの中で体が一番大きな個体がオスに変わる。

②カクレクマノミ(イソギンチャクと共生している魚。ファイティングニモのモデルになっている魚。)も性転換魚。この魚は体が一番大きな個体がメス、その次に体が一番大きな個体がオスで、それ以外は、未成熟状態となっており、メスがいなくなると、今までのオスがメスに転換し、未成熟のうち一番大きな個体がオスになる。 

③魚類は1割ぐらいが性転換魚。

ということが書いてありました。

(以上で、ついでの話は終了です。)

話を元に戻すと、ホンソメワケベラを使って実験をして、鏡を見て、自分だと認知していることを確かめたという話が載っています。

どのように実験するかなどの主要な話は、自分で本を見てみてください。

その影響なのですが、これが本当なら、「心」があるのは、哺乳類、特に霊長類というような階層構造が成り立たない可能性があるということになります。

(この先生の説に賛成するのは魚類の専門家、反対するのは哺乳類などの研究者なのだそうです。)

特に西洋では、まず、キリスト教の世界観から、人間は他とは違う、ということになっており、それがダーウィンなどの進化学の影響で、人間とそれ以外という二分ではなく、原始的な生物から高度な生物までが進化の過程で分化したと考えられるようになったわけです。

それでも依然として、哺乳類などの優位性を信じてきたという部分があるのですね。

しかし、ホンソメワケベラは、他の魚を顔で見分けており、鏡に慣れさせれば、自分であることも顔で認知する(自分であることを認知する前は、自分の姿を見て、ナワバリを荒らす可能性のある他者と認識して攻撃するのだそうで)・・・ということは、どこかの時点で、「あ、これ、自分だ。」と思うということであり、そう思うだけの「心」があることになるのですね。

そうなると、今まで信じられてきた生物観が変わってくる可能性があります。

ホンソメワケベラに心らしきものがあるということが言われているだけですが、今後、自己鏡像認知ができない魚にも、別の種類のテストで確かめられるような心があるということになるかもしれません。

魚にも心があるということなら、100年ぐらいたったら、『老人と海』などは、魚への虐待を描いた作品として非難されているかもしれませんね。

まあ、仮説(研究中)ということですから、また、そのうちこの説が否定されることもあるかもしれません。(今、正しいとされていることも、そうではなかったと言われることがあります。科学の知見はすべてが仮説なのですから、そういうことはよくあることです。)

コミュニケーションについても、研究が進めば、本能行動と思われていたものが、意図があるものと考えられるようになるかもしれません。

言葉を話すのは人間だけだということで、人間の優位性が語られてきたのですが、そのうち、喉を使っていわゆる「言葉」を交わすのは人間だけだけれども、それとは違うコミュニケーションのしかたがあって(←ここまではいままでも言われてきたことですが)、それが人間の「言葉」に勝るとも劣らないものなのだと実証される日が来るかもしれませんね。


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