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「身の丈に合った教養」のむずかしさについて

突然だけど、僕は教養というものにすごいコンプレックスを抱えている人間です。

具体的に言うと、他人が自分の知らない学問とか文化・趣味の話を披露していると、その語られていることを自分が知らないことが、すごく悔しくなってしまうのですね。その他人が年下だったりするとなおさら。

特にきついのが、別に知識をひけらかすとかではなく、純粋に屈託のない態度で「これ面白いよねー」とか語られるとき。

「君たちこれも知らないの?」みたいな、端からこっちを馬鹿にした態度で語られれば、ムカつくけど、まだいいんですよ。

しかし、「君たちこういう文化知らないんだ?じゃあ私が教えてあげるよ!」みたいな感じで、分かってる特有の「分からない人に教えてあげる善意」を見せられると、本当にみじめになって、その文化に苦手意識がつくし。その人自身も苦手になってしまうのです。

まあでも、若いころならまだ、そういう悔しさがあるからこそ、「こんな悔しさをあじあわないように、もっと勉強して、いろいろな教養を持たなければ!」と思う原動力になったから、コンプレックスが良い方向にも作用していたと思うんですね。

ところが、30代も後半になってくると、世界の広さを知って、もう、いくらそんな風に頑張っても、世の中から「知らないこと」はなくならない。人間はアカシック・レコードにはなれないということが分かってくるわけです。さらにいうなら、頑張って教養を得ようしても、体力的にきつくなってくる。頑張って新しい映画とか文学とか読む時間があったら、もうちょっと睡眠取りたい。

そうなってくると、いよいよ教養コンプレックスときちんと向き合わなくなければならなくなってくるわけです。知らないことは知らないということを認め、「自分はここまで知っているからそれで十分じゃん」という風に、身の丈に合った教養の範囲を定めなくちゃいけなくなるわけです。

ところが、これがなかなか難しい。

昔みたいに、直接その場所に行かなきゃ文化が体験できなかったり知識を得ることができない時代なら、例え知らないことがあっても「しょうがないじゃん。知る術がないんだから」と言い訳ができるわけです。

しかし現代においては、どんなハイカルチャーに属する文化とか、高等教育でしか得られない知識であっても、ネットを通じればそれを得ることができるわけです。そういう環境にもかかわらず、それら文化や知識を得ないということは、結局その人が怠慢だからということになってしまうんですね。

結局、文化とか知識とか、そういった教養がないことになんでコンプレックスを感じるかと言えば、それを知らないということが、自身の怠慢の証明になってしまうからなわけです。だから、そういった文化や知識へのアクセスのハードルが低くなればなるほど、逆に、「ここまでハードル低くなったのになんで君はそれを知ろうとしないの?」と問い詰められている気がして、苦しくなってしまうんですね。

そして、こういう風にグダグダ書けば書くほど、「そんなグダグダ言ってる暇あったら知れば良いのに」と、もう一人の僕が言ってくるわけです。でも、そのもう一人の僕に従ってると、結局「コンプレックスを解消するためだけに面白くもないことをひたすら勉強する」はめになるわけで。

一体どうしたもんかなぁ……

ただそんな中最近思うことは「自分に合わないものを無理に身につけようとするのもダサいよな」ということですね。

10代の頃ならともかく、こう三十数年生きてきて、その知識や文化を勉強してこようとしてこなかったなら、「そういう文化や学問って自分には合わないな」と感じる何かがあるはずなんですよ。なのに「それを知っていないと恥ずかしいから」という理由で無理矢理勉強しようとするのも、それはそれで恥ずかしいんじゃないかと。

もちろん、自分に合わないと感じるのは、ただその文化や知識の楽しみ方を知らないだけということもあるでしょう。ですが、そうだとしても、そもそも30数年生きてきてその楽しみ方を知らないのなら、その楽しみ方は社会で主流派じゃないということなので、やっぱり別に知らなくて良いんじゃないかと。

逆に、加齢による変化でいままでは合わなかったものが急に合うようになるということもあるでしょう。そしたらそこで合ったときに勉強し直せばいいわけで、「今自分に合わない教養も、未来の自分には合っているかもしれない」と考えれば、逆に「今無理に、自分に合わない教養を身につける必要もない」と思えるのでは、ないでしょうか。

そんなことを思いながら、僕は自分のコンプレックスとなんとか向き合っている、今日この頃です。

でもやっぱ、自分より年下の子が「クラシックとか良いよね」とか屈託も無く言ってると、自分の無知が悔しくなるのだなぁ……


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