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演奏会の個人的なプログラムノート

こんにちは、マツザキです。
今日はちょっと真面目なはなし。近々出演する、あるコンサートのプログラムノートを書いてみます。
プログラムノートの提出がないコンサート、個人的には少し寂しくて、曲のこともっと知ってもらいたいな〜とか、わたしがこの曲をどう思っているのか知ってもらいたいな〜などと思っていたのですが、ここに書けばいいのだ!と、これまた深夜の思いつきで書いてみます。

今回のプログラムはこちら
R.Strauss: Drei Lieder der Ophelia Op.67
R.Strauss: „Du meines Herzens Krönelein“ aus Schlichte Weisen Op.21-2
そして、2台ピアノで
Piazzolla: Le Grand Tango
を演奏します。

R.Strauss: Drei Lieder der Ophelia Op.67 オフィーリアの3つの歌
1. Wie erkenn' ich mein Treulieb 私の本当の恋人を見分けるしるしは何でしょう
2. Guten Morgen, 's ist Sankt Valentinstag おはよう、今日は聖バレンタインの日
3. Sie trugen ihn auf der Bahre bloss あの人は死化粧もせずに棺に入れられた

1. Wie erkenn' ich mein Treulieb 私の本当の恋人を見分けるしるしは何でしょう
 不安定な和音のシンコペーションで始まる。どこからともなく不気味な旋律が聞こえ、それを歌が模倣する。どこまでも不穏で不安定な音楽のなかを、まるで狂気に取り憑かれたオフィーリアが綱渡りしているかのようだ。不意に、綱からずり落ちてしまったオフィーリアは「あの人は死んだのよ!」と叫ぶ。しかし彼女はまたすぐに靄のかかった世界へと戻っていく。靄がかった中でも見える一瞬の煌めきは、たびたび現れては消えていく調性によって表現されている。
 彼女の精神が極限に達したとき、今度はその恐怖や狂気は愛へと変わる。突然に訪れた愛の陶酔は、E-durで表出する(E-durはシュトラウスにとって愛の調である。《ばらの騎士》や《ナクソス島のアリアドネ》の作曲家とツェルビネッタの二重唱を聞いていただければ、お分かりだろう)。それまで限りなく色のない世界にいたオフィーリアは突然訪れた薔薇色の陶酔に酔いしれるが、それもまた長くは続かない。もはやピアノが奏でるのみになった靄のなかをオフィーリアはまた辿々しく歩いていく。その足取りはもう死へと導かれている。

2. Guten Morgen, 's ist Sankt Valentinstag おはよう、今日は聖バレンタインの日
 突然の躁状態がオフィーリアを襲う。彼女はずっと「はしたないこと」を口走っている。「バレンタイン」とは一夜限りの恋人のこと。彼女は愛する彼と一夜でもいいから愛しあうことを望む。でも、彼はもちろん彼女に本気じゃない。「ああ、男はなんてひどいんでしょう!」口走っていることは何とも非情な内容なのに、音楽はずっと不気味さを保った明るさと、休む隙を一切与えない無窮動を貫き通す。
 彼女は言う「私と結婚するって言ってくれたじゃない」。すると彼は無情にも「したさ。お前がこんな簡単に俺と寝たりしなきゃな」と返す。オフィーリアの興奮は冷めやらず、その興奮はそのままピアノに受け継がれる。しかしその躁状態も次第に収まっていく。そこに残るのは偽りの笑顔を伴った、絶望に打ちひしがれたオフィーリアの虚無感だけである。

3. Sie trugen ihn auf der Bahre bloss あの人は死化粧もせずに棺に入れられた

 墓石の上で風が渦を巻いているような、奇妙なピアノがオフィーリアの独白を呼び起こす。先程の躁状態と打って変わって、今度は深く鬱々としてオフィーリアが嘆く「私の最愛の人は死んでしまった」。しかし突然に、ピアノがワルツを奏でる。急激な躁状態のなか、彼女は叫ぶ「私の大好きなお馬鹿さん!可愛がっていたのに」。そして、つぶやく「彼は死んだの。死んだの」。
 またもや深い闇が彼女を襲う。「彼はもう戻ってこない」。しかしそうしているうちにも、先程のワルツが聞こえてしまう。彼女は今度は底抜けに明るく、あるいは少しの恍惚を伴って、つぶやく。「彼は死んじゃった。でももうどうしようもないんだもの」。
 そして、最後には神に祈りを捧げる「どうか神の御加護がありますように!」。もはや何もわからなくなってしまったオフィーリアは、誰のために、何のために祈るのだろうか。第1、第2曲までの突飛な終わりかたとは異なり、ここでは残酷なまでに美しく、歪められた愛の調(Es-dur)で曲が締め括られる。

R.Strauss: „Du meines Herzens Krönelein“ aus Schlichte Weisen Op.21-2
あなたは私の心の王冠
 オフィーリアの歌とは打って変わって、流麗な愛を歌う曲である。非常に美しく、純粋な愛を歌うこの曲をプログラムの最後に配すると、先程までのオフィーリアの苦悩と狂気が天に昇って浄化される様が描かれえるようにも思われる(ただしこの曲は先程までの3つの歌とは一切関係なく、作曲年代もこちらの方が先である)。
 山田耕作のよう…とも言われるこの曲だが、やはりシュトラウスの濃厚な和声と美しい旋律に彩られた、彼独自の作風がここにはあるといえよう。プログラムの締めくくりにこの曲を置くことで、聴衆もまた浄化されて一つの旅を終えることができる、と信じている。

と、ここまでは歌との共演ですが、2台ピアノもやります。

Piazzolla: Le Grand Tango

 20世紀の名チェリスト、ロストロポーヴィチのために作曲された作品。今回は2台ピアノ用に編曲されたものを演奏する。タンゴが元来持つ情熱は、ここでは氷の中で燃える火のごとく、表面上には滅多に出てこない。しかし内に秘めた情熱は確実にそこに存在し、その炎は曲が進むにつれて次第に大きく、強いものへと変貌を遂げる。この作品は3つの場面からなる。非常に厳しい性格を持った第一のタンゴ、郷愁を呼び起こすセンチメンタルで時にエロティックな第二のタンゴ、そしてパッサカリアを用いて次第に興奮を増していく、狂気的な第三のタンゴ。これら3つのタンゴは、常に非常に厳格なタンゴのリズムを内包し、それはたとえメロディックに歌いあげる箇所においても崩れることはない。
 ところで、我らが師匠はこの曲を「亡命者(Exile)の音楽ね」と評した。全くその通りだろう。この曲が作られた時代のアルゼンチンの情勢を思い起こせば、この曲が持つ内的な厳しさ、激しさの理由がわかる。

と、こんな感じでございます。
書いてみて、オフィーリアへの熱量がすごいのがバレバレです。ハムレットはシェイクスピアの傑作ですよね。私はシェイクスピアの作品中で一番好きです。
あー演奏会前に間に合った!ので良かったらお読みくださいまし〜!それでは!


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