萎れない花として
私は萎れない花として生きたい。
野に咲く花の言葉は聞きとれない私ですが、人として人の言葉は花として、咲き誇る姿を語り継ぐ事が出来るからだ。
花が花として咲かなくなる時のように、
人が人として他に語り継ぐ事を辞めた時、それは悲しい物語の初めでは無いかと思う。人の言い争いから、戦いが産まれ悲劇がおこるかのように語る人がいる。しかし、語るのを辞めた時に戦い、争いが起こっているのだから。
言ってもしょうがないから言わない事を私は褒められない。
…別件で、日本式の挨拶の儀礼がネット社会では、コミュニケーションの障害となってないかと思案を巡らしている。
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